数少ない息抜きの一つが「このブログを書くこと」だったりするのですが、それにしてもネタが無いときは困ります。
こんなところに長時間軟禁状態にされると、何かこう、頭がトリップしてくることがあります。
以前、ある会社のサーバールームに、サーバの機能追加のためまる1ヶ月カンヅメにされたことがありましたが、さすがにそのときはモニターの向こうに「お花畑」が見えました。冗談抜きで、お花畑で遊んだり昼寝したりしている自分が見えるのです。まさに「八甲田山」を彷徨する兵士の気持ちです。エアコンとサーバの排気ファンの音が響き渡る部屋で無駄にスーツを着てパイプ椅子に座り、人一人やっと入れる空間で端末のノートパソコンを一日12時間以上見ていると、なんかもう現実の中にいるのが耐えられなくなってくるのですよ。
今の職場はそれほど辛くはないですが、それでも現実に耐えられなくなってくると、僕は一人旅に出ます。引き出しから文庫サイズの地図を取り出し、脳内旅行に出発するのです。
「今日は九十九里にでも行ってみるか」と決め、都内の自宅を出発してやや渋滞している護国寺インターから高速に乗ります。首都高速池袋線はだいたい飯田橋までノロノロですが、そこを過ぎて環状1号線に入ると車は流れ始めます。
ページをめくりながらレインボーブリッジを渡り、湾岸線に乗ったらディズニーランドを右に見ながら東関東自動車道に乗ります。指で道をなぞりながらページをめくり続け、やがて車は千葉の富里インターで高速を降ります。
そこから「芝山はにわ道」を通って海まで走ると蓮沼海岸に到着です。冬の海を見ながらボーっと浜辺で缶コーヒーを飲み、足元でカラカラになったワカメをいじりながら「こっから海の向こうのアメリカまで海底ケーブル引いた人はすごいなぁ」などということを意味もなく考えたりするのです。
さぁ、そろそろ仕事でもするか。
理由はジャパンネット銀行と同じで、自分の預金を引き出すのに手数料を取られないからなのですが、それ以外にもいろいろメリットがあったのでした。
手数料がかかららず、終日引き出せるのは大きなメリットでしたが、ジャパンネット銀行が月3回までながらコンビニのATMで無料で引き出せたので、最近はもっぱらこちらを使っていました。
外貨預金はまぁちょっと持っていたりしたのですが、結果的に少しマイナスが出てしまいました。
インターネット対応は、今はほとんどの銀行が対応しているので、大きなメリットはなくなってしまいました。
というわけで、千葉に引っ越すことと、家を買うために大きな現金が必要になったこともあり、シティバンクは口座を解約してしまいました。
解約には大手町支店に出向いたのですが、「オレって浮いてる・・・・」。 行ってみて初めて「大手町支店は僕みたいなのの行くところじゃないなぁ」ということを実感しました。なんか周りの人はみんなアルマーニのスーツを着て数億円のお金を毎日動かしているような人に見えます。ボロいジャンパーを着て、100万単位のチマチマしたお金を後生大事に暖めているような僕は「日曜日の公園の、子供づれの家族の大群の中にいるホームレス」並みの違和感があったのではないでしょうか。
きっと僕が去ったあと窓口のオネエチャンに「あの人きっと秋葉原支店からの人よ。ジャンパー洗ってるのかしら」などとささやかれていたに違いありません。
「悪かったよ。秋葉原から来たんだよ。ごめんよぉ。もう来ないよぉ(被害妄想)」
ちなみに解約するとき百数十万の預金があったので現金でもらったのですが、この時に生まれて初めて「帯封をしてある100万円の新札の束」を手にしました。
我ながら庶民だなぁ・・・と思いつつ、記念写真を撮ってしまったことは言うまでもありません。
このお金は10分後には斜向かいにある三井住友銀行のATMに消えていきました。このわずか数分間の移動でさえ、周りにいる人がみんな泥棒に見えてしまった自分は本当に小心者。
ともあれシティバンクは、どの支店も日本の銀行とはかなり違った雰囲気(床がフローリングだったり)するので、何かちょっとハイソな刺激が欲しい人にはいいかもしれません。ただ、最低30万円の預金ができることと、銀行に行くためだけにスーツに着替えられることが条件かな。
しかしクォーツ時計の時代に入ってからは大きな進歩はなく、しばらく精度がちょっとだけ向上するとか、電池の交換頻度が減るとか、そういう進歩のみの時代が続きました。
しかしここに来て、腕時計は非常にダイナミックな進歩を遂げています。電波時計の出現です。
電波時計は、九州と福島から電波で発信されている標準時間を受信して1日に1度時間を自分で自動的に修正する機能を持った時計です。
電波時計は全て同じ電波を基準に動いているため、複数の電波時計を並べると全ての時計の秒針が同じところを指し一斉に動くので圧巻です。
数年前まで電波時計は、電波を取り込む都合でケースの一部がプラスチックになっていたりしたため、ちょっと見た感じ腕時計として違和感を感じるようなところがありましたが、ここ最近は全金属製の電波腕時計が現れ始め、言われないと電波時計だと分からないほどになっています。
この電波時計に「太陽電池」機能をつけた俗に「エコ電波」と呼ばれる時計が急速に普及を始めており、この「狂わない、止まらない」という、時計としては究極とも言える二つの要素を持って市場を席巻しています。カレンダー情報も自前で持っていますから、月の頭に日付を合わせる必要もありません。竜頭を回す必要がないということは、時計に外から力を加える必要がなくなるわけで、シンプルな時計なら壊れることもずっと少なくなりそうです。
こんなのが普及したら、新しい時計が売れなくなってしまいそうな気もするのですが、まぁ全く壊れないわけでもないでしょうし、時計産業もまだまだ次の手を考えてくるでしょうから大丈夫なのでしょう。ただ、時計の電池交換で持ちこたえているような小さい時計屋さんはちょっと厳しいかもしれませんね。
何に弱いかというと、そりゃもう「若かった頃の思い出」系のネタにめっぽう弱くなってしまったのです。
例えば映画で言うと「ニューシネマパラダイス」。
音楽で言うと、ゆずの「友達の唄」や浜田省吾の「19のままさ」「遠くへ」「路地裏の少年」辺りなんかが琴線にビンビン触れてきます。
この辺の曲は、カラオケで歌おうとしても途中で嗚咽が入って最後まで歌うことさえできません。なんだかなぁ。
「もうとりもどせないあの頃の時間」っていうようなテーマで詞を書かれるともうダメ。
35歳を回ると、このあたりのことが身にしみて実感されます。
あの頃は無限にあると思っていた時間をずいぶん無駄に使っていたように思うのですが、恐らくあの頃どんなに有意義に時間を過ごしていても、取り返せない20歳前後の時間を想う気持ちは変わらなかっでしょう。
今後どんなに自分が偉くなろうとも、どんなにお金持ちになろうとも、ハタチの時間を取り戻すことは絶対に出来ないのです。
♪ 〜 いつまでも忘れない、今でも目をこうして閉じれば19のままさ
でも僕ら、もう二度とあの日のきらめきこの腕に取り戻せない 〜 ♪
時折合うたびに薄くなっていく友人の頭を見るたびに、そう思うのです(オチつけてどうするよ)。
もう3年以上も前に発売されたコンピュータですから、この業界のライフサイクルから考えるととっくの昔にガラクタになっていても不思議ではないのですが、このマシンに関しては今でも結構熱いユーザーがいるようです。こんなことは・・・・・以前ヒューレットパッカードの200LXにハマッた時以来です。そう。僕はこういうのに結構弱いのです。
他のWindowsCEマシンではなく、このマシンをいまだに愛して止まない理由は、その潔い割り切り加減が絶妙だからでしょう。
betaplayerというすばらしいソフトがあり、このソフトを使えば、この非力なマシンでもフルスクリーンで動画をストレスなく鑑賞できます。
1GBのコンパクトフラッシュを入れれば、30分ぐらいの動画なら10本以上。2時間の映画でも2〜3本を持ち歩くことができます。もちろんこれほどの高圧縮率の動画は画質的にかなり厳しいものがありますが、lagendaの画面はもともとそう綺麗なものではないのでこれでも十分に楽しめます。家で2時間の映画をゆっくり楽しむ時間はほとんどありませんが、持ち歩けば電車の中、信号待ち、果てはエレベータ待ちなどのちょっとした時間の積み重ねで映画1本を見ることができるのです。
以前都内から茨城まで毎朝毎晩仕事で通っていたことがありましたが、そのときはまだbetaplayerはなく、3Kgのノートパソコンを持ち歩いて通勤時間を消化していました。通勤だけでも毎日1本以上映画が見られていたなぁ。ただ、パッテリーが多少ヘタっていたので目的地までPCが動き続けるかどうかは結構微妙なところで、北千住のホームのコンセントで電車待ちの数分間さりげなく充電したりしてたっけ・・・(オイオイ)。
最近はハードディスクを積んだ携帯型のビデオプレイヤーも出始めていますが、まだまだ大きく重く、価格も高いのが難点です。このあたりのハードウェアがもう少し洗練されてくるまで、このlagendaはまだまだがんばってもらわないといけないのです。
この何気ない一言は、たとえば電話の相手に口にするだけで、相手の応対をがらりと変えてしまう不思議な力を持っています(相手にもよりますが)。
社会人の経験がない人には何のことかわからないと思いますが、この「失礼ですが」の一言は、「失礼ですが、あなたのお名前を伺えますでしょうか」が省略されたものです。要するに「このクソ野郎、名を名乗れ!」ということを非常に婉曲に表現した言葉なのです。
この一言が、例えば「非常に失礼な応対をする電話窓口に対して発せられた」場合、持っている意味は、以下のような複雑なものです。
つまり、「オレは失礼な対応をされたら、オマエの上司や世間に対してオマエがそういう発言をしたことを言っちゃうよ。オマエ(の会社)は社員に、客に対してそういう言い方をしろと教育してるのかと詰め寄っちゃうよ。ボクは社会のしくみが分かっているから、そういうやり方をちゃんと知ってるよ。腹の立つことをされたら泣き寝入りしないよ」というプレッシャーになるのです。
でもまぁ、組織ごと腐れ果てている場合は何の意味もないのですが。
一応、大企業の窓口や、官公庁、役所の類ではかなり使えますので、覚えておくといいでしょう。一言だけ「失礼ですが」。