2005年2月

13日  洋服の青山

訳あって1月から朝8時50分出勤の仕事をしています。しかもスーツを着て。

以前の僕ならあっさり断っていたような労働条件なのですが、住宅ローンを抱えてしまうと人間変われば変わるものです。

これまではスーツも夏用のしか持っていなかったので、しばらくは夏用のスーツで通っていたのですが、さすがに2月の寒さには耐え難くなってきました。

近所にある「洋服の青山」に冬用スーツを買いに行くと、スーツを一着選んだ時点で「二着目は1000円になります」って。それじゃ買わないと損じゃないの。ここで「1着だけでいいです」って言い切れる人はある意味すごいと思う。

前は「スーツ2着で1着分の値段!」というような表現をしていたと思うのですが、何か問題だったのでしょうか。今は「1着買えば2着目は1000円でご奉仕」という表現に変わっているようです。

で、考えてもいなかった2着目のスーツを選ぶ羽目になり、もう適当に2着目を選んだところで「ここでコートを買っていただくと6万円のものを2万円にしておきます」って。

これまでバイクで通勤していたのでコートなど防寒の役には立たず、欲しいと思ったこともなかったのですが、電車で通勤していると逆にダウンの上着は暑すぎだと感じていました。

そんな訳で、「外では寒くなく、電車では暑くないぐらいの上着」があるといいなぁ、などと思っていたところなので、もうここは自分が「ネギを背負ってダシ醤油を持ったカモ」になったつもりでコートも買ってしまいました。

洋服の青山に入ってわずか30分。スーツが1着あればいいやと思っていただけなのに、気が付くとスーツ2着とコートの領収書を持たされていました。あれれれ。

商売うまいなぁ。

それにしてこのコート「カシミア」って書いてあるけど、これがこんな値段で売れるほど世の中にそんなに沢山カシミアってあるもんなのかなぁ。

15日  通勤

まぁ僕が通勤のことを書くからにはだいたい書くことは決まっているのですが、それにしても電車が込んでいます。

それでも僕が毎朝乗るのは都営三田線の巣鴨から水道橋までわずか10分間ほどで、大宮やそれより向こうから電車で都内に通勤しているお父さんがたから見ると「何をふざけたことを」というところでしょうが、僕はこの満員電車が苦手で苦手で。

一昨年の年末にバイクを失って以来長らく電車男になっていて、さすがに毎日電車に乗る生活には慣れてきたのですが、やっぱり好きになれません。

それにしても現在の職場の「8時50分出勤。遅刻厳禁」というのは本当になんとかならないものなのでしょうか。別にこの時間でないとできない仕事でもない(システム設計と開発)のに。

もうこの際言わせて貰うと「朝9時に社員を出勤させる必然もないのに、美意識だけで朝9時出勤を社員に押し付ける経営者は、社会で分け合っている貴重なリソースを無駄に消費する、社会に対する反逆者!!」です。

山手線や地下鉄の輸送能力はもはや限界寸前で、これから先大幅な輸送能力の向上は期待できません。地下鉄の新路線も建設費用がかかりすぎて作ったものは全て大きな赤字を抱えています。今考えるべきことは、なるべく通勤時間を分散させて通勤のピークを押さえることです。

みんなが一斉に同じ時間に移動するから、そのピークに合わせた公共の交通機関や道路が必要になってしまうのです。ところがそれに合わせて交通機関を整備すると、それ以外の時間はガラガラで、トータルでは赤字になってしまいます。

これを解消するためには一つしか方法はありません。とても簡単なことです。「9時に出社する必然がない人は9時に出社するな」。言い換えれば「9時に出社させる必然がない職場職種では社員を9時に出社させるな」。ただこれだけです。

軍隊がつり橋を渡ると、一斉に同じ歩調で歩くためつり橋が大きく揺れて落ちてしまうという話があります。こういう場合、みんなバラバラに歩けばいいだけなのです。これと全く同じことです。

軍隊的な美意識で社員を統率して悦に入るのはそろそろやめませんか?全国の経営者様。

17日  略すなよ失礼だな

地学上のトピックで高校生をもっとも喜ばせるのは「モホロビチッチ」でしょう。なんだか楽しそうなその名前もさることながら、あまりにも長いその名前は失礼にも「モホ」と略されることがあります。こんなことは他ではあまり聞きません。この「モホ」という響きが、多感な年頃の高校生を刺激し無用にエキサイトさせるのです。

モホロビチッチは、地球の中に地殻とマントルの境目があることを発見した偉大な地学者です。その境目は「モホロビチッチの不連続面」と呼ばれますが、これを「モホ面」とまで省略して呼ばなければならない必然は本当にあるのでしょうか。

例えるなら「フーコーの振り子」を「フー子」と呼んだり「ピタゴラスの定理」を「ピタ理」と呼ぶようなものです。

みんな少し面倒でもちゃんとフルネームで呼んであげましょうよ。少なくとも名前の途中で略すなよ。しかも教科書で。

英語圏の人も「Moho-plane」とか略して呼んでいるのでしょうか?こんな失礼なことをしているのは日本人だけ?

20日  めまい  その1

もうだいぶ前になりますが、六本木で働いている時、急に強烈なめまいを起こしてぶったおれたことがあります。

そんなことは生まれて初めてで、天井がグルグル回って、もうどんな姿勢をしていても耐え難い状況でした。

すぐに医務室に運んでもらったのですがあいにくと先生は不在(というか、会社の中に医務室があって先生がいるだけでもすごい)だったのですが、医務室のベッドでしばらく休ませてもらっているうちに落ち着きました。

で、その日は家に帰って翌日病院に行きました。

僕はあまり病気をしたことのない人間で、病院のルールもよくわからず、「原因がよくわからないからとにかく大きいところに行けばなんとかなるだろ」ぐらいにしか思ってなかったので、近所にある「都立駒込病院」に行ったところ、受付で「今日は何の御用ですか?」みたいなことを聞かれ「え?ここって病院じゃないんですか?」って非常にうろたえたことを覚えています。こういう大きい病院は普通町の病院で紹介状を貰ってから行くものなんですね。

でも、事情を話すと受付の人がどうにかしてくれて、脳神経科だったかの先生に診てもらうことができました。ずいぶん待たされましたけどそれはしょうがないでしょう。

で、生まれて初めて頭をレントゲン撮影され、さらにMRIで断面まで撮られて。

後日結果を聞きに行ったのですが「異常ないです」とのこと。そんなこと言われてもなぁ。

僕としては結果待ちのこの期間も、結構おびえた生活を送っていたのです。車やバイクを運転している間にあのめまいが突然来たら事故になってしまうかもしれません。

原因がわからないとこれからもずっとこのめまいに怯えながら暮らすことになります。

原因として考えられそうなことをしばらく先生と質疑応答していたのですが、先生も「これから先は大学病院の範疇になります」と、半ばあきらめ顔。「大学病院って半分研究機関だから、鼻から塩水入れられたりしますよ」なんていう脅しのようなことまで言われたりして。

ここではじめてわかったのですが、病院には「町医者」→「公/私立大病院」→「大学病院」のステップがあって、原因がわからなかったり対処ができなかったりすると次のステップに移るようになっているのだなと。

しまいには「また今度症状が出るようだったら来てください」と、まるでソフトウェアのサポート窓口みたいなこと言われて治療はおしまいになりました。

この後しばらくめまいに怯えた生活を送りました。

22日  めまい  その2

ところがある日、一緒に食事をしていた知り合いが僕の顔を見ながら「片山さん、メガネ曲がってない?」と言ったのです。

メガネをはずしてよく見てみると、確かに左右のレンズが中央を中心にしてわずかにねじれた状態になっていました。恐らく寝起きにふんずけでもしたのでしょう。このとき、やっとめまいの原因がわかったのです。

メガネを買い替えると、大体2週間ぐらいたっとところで軽いめまいに襲われます。脳が視覚の変化に順応しようとして起こしているのだと思います。先日のめまいはこれの非常に強烈なものだったのです。

これでやっと安心して車やバイクの運転ができるようになったのですが、それにしても疑問なのは「めまいを専門にしている医者が、僕と向かい合わせに座ってめまいの原因をあれこれ議論したにもかかわらず、僕のメガネが曲がっていることに気づかなかった」ことです。

メガネの変化が原因でめまいが起こることは、メガネをかけている人ならほぼみんな知っていると思います。脳神経科のお医者さんは、メガネをかけた人がめまいの症状を訴えている場合はまず最初にメガネを疑うようにしたほうがいいのではないでしょうか。

24日  廃墟

廃墟を訪ねるのがどうも巷で静かに流行っているようです。インターネットで「廃墟」を検索すると沢山のページがひっかかってきますし、廃墟関連のDVDがごく普通のビデオショップの棚に並んでいたりします。

結構犯罪スレスレ(というか厳密に言えば犯罪そのもの)の行為ではあるのですが、壊したり怪我をしたり物を持ち帰ったりしなければそれほど誰かに迷惑がかかるわけでもなく、大抵の廃墟は自分が行く前に何者かによって(多くは地元のヤンキーなど)破壊の限りを尽くされていたりするので、そうっと入って中を覗いてみたいという気持ちはわからないわけではありません。

などと言っている僕も、ずいぶん前北海道にツーリングに言ったとき、知床半島に向かう道の傍らにあった(きっと今でもある)牧場跡の廃墟に入ってみたことがあります。牧場の建物の多くはもともと扉らしい扉がないものも多いので、廃墟になってしまった建物はほとんど何者の侵入も拒んでないようでした。

道路から100mほど入った畜舎の廃墟は天井も崩れ落ち、中から上を見上げたときに天井から見えた青空と全てが死に絶えたようなその場の静けさは今でも忘れることができません。

人が廃墟に魅せられる理由は何でしょうか?恐らくそこには「とても静かな死のイメージ」を感じさせてくれるものがあるからではないでしょうか。

廃墟が持つ「とても静かな死のイメージ」は、ホラー映画や宗教が語る天国や地獄が持つアクティブな死のイメージとは全く違う、罪も悩みも喜びも恐怖も安らぎすらも全て放棄した非常にスタティックな死のイメージです。廃墟の持つそういうイメージが、生き物が本能的に持つ死への恐怖をなだめてくれるのではないかと思うのです。

廃墟が持つこの独特な「癒し」の感覚は、なかなか他のものでは得られないものなのではないでしょうか。

廃墟 その2

前回は廃墟にある「癒し」の効果を語ってみたりしたのですが、現在家を新築中の僕にはもう一つ大きな「思い」があります。

僕は四人目の子供ながら、両親が丁度家を建て替えた年に生まれました。ですから、今故郷にある家は築35年以上になるということになります。増え続ける子供たちのことを考えて家の建て替えを決意したのだと思います。それから僕が大学に行くため東京に出るまでの20年弱の間、その家から四人の子供たちが世間に旅立ったことになります。僕が生まれた頃は恐らく今の僕たち夫婦のように仕事と子供の世話で目が回るほど忙しかったのではないかと思います。

ところが、子供が家にいるのはたかだか20年ほどでしかないのです。四人の子育てを終えた家は、今、父をも亡くし母だけをその内に囲っています。家のいたるところに夫婦と親子の生活の跡が残る家は、母一人には広すぎることでしょう。

家のライフサイクルのことだけを考えると、家はこの後で重大な分岐点を迎えることになります。ここに若い住人が入ってくるか(戻ってくるか)、ということです。

ここで入る若い住人は、母の面倒を見るだけではなく、30年を過ぎてそろそろ手を入れなければならない家のメンテナンスをもする責務を負っています。

幸運にもそういう住人を得ることができれば、家はリフォームされまだまだ現役であり続けることができます。万一修復不能な事態に陥っても、住んでいる人はその家を建て直す努力をしてくれるに違いありません。なんせ住んでいるのですから。

悲しいのは、若い住人を得ることができなかった家です。困ったことに日本は少子化が進んでいて、夫婦が結婚しても子供が一人、ということが少なくありません。四人生んで育てた僕の両親ですら家の後を見る人を得られるかどうか微妙なところなのに、一人っ子では、必ずどちらかの家が若い管理者を失うことになってしまいます。核家族化が進んでいることを考えても、こういう家は今後ますます増えていくことになると思われます。

こういう家の進む果てのもっともさびしいものが、「廃墟」なのです。子供が同一県内ぐらいに住んでいれば有効利用してくれる可能性もありますが、県外に行ってしまうと住人を失った家はみるみるうちに忘れ去られてしまいます。そして、両親の愛と、その中で育った子供たちの歓声と思い出を包み込んだまま廃墟となりタイムカプセルのように静かに眠ることになるのです。

僕自身、故郷を捨て東京に出てきた人間なので、自分たちの子供に「この家を継げ」というつもりは毛頭ありません。だから、今現在新築の家を建てている自分は、この廃墟というものを現実的なものとしてひしひしと感じてしまいます。生まれた家を捨てた男は、建築中の家を見ながら、廃墟になったその家をもまた同時に頭に描いているのです。