早朝4時に女房に叩き起こされた僕は、そのとき初めて陣痛に苦しむ女房を見たのでした。
しかしそれもまだスタート地点でしかなかったのです。
一人目の子供は超音波で診断した結果逆子とわかり早くから帝王切開ということが決まってしまっていました。そのため、自然分娩は初めてだったのです。
女房が周期的(10分間隔)に起こる痛みを「陣痛に違いない」と判断して病院に電話をしたのを見届け、僕は駅前までタクシーを呼びに行きました。
まだ薄暗い中、白山通りを通る空車のタクシーを捕まえて戻ったときには、もう出発準備が出来ていました。
女房を車に乗せ、港区の済生会中央病院に着いたときは朝5時20分になっていました。
女房は観察室に入り、アクトカルディオグラフという陣痛と赤ちゃんの心音を同時に測定、記録していく機械につながれました。陣痛が来ると地震計のようにみよ〜んとメーターが上がります。痛そうです。
そこに入って数時間後、先生が診察してくれました。診察の間は僕は退去させられるので、朝食のおにぎりを買いに外にでました。
で、戻ってみると、女房は荷物をまとめて帰り支度をしていました。
どうやらまだまだ本格的な陣痛ではなかったようです。「本当の陣痛はこんなもんではない」という話を聞いて女房はちょっとビビっていたようです。今来ているのは「前駆陣痛」といって、陣痛の予行演習のようなもののようです。
とにかくしょうがないので、ヒョコヒョコと歩きながら電車で帰りました。本物の陣痛は電車で移動できるようなモノではないと知ったのはずっと後のことでした。
女房も寝たり起きたりしながら次第に強くなってくる陣痛を感じていたようでした。
夕方になる前には僕も起きて、女房の様子を見ながら楽器など弾いておりました。
女房の陣痛は前にもまして強くなっていくようでした。でも、これでまた病院に行って帰されたら情けないしタクシー代はかかるしでいいことはありません。女房なりに今度は限界まで頑張るつもりのようでした。
夜9時ごろ、女房が悲鳴をあげ始めました。やっと今朝の痛みが本当の陣痛に比べれば「お遊び」のレベルであったことに気づいたようです。もう悲鳴を抑えることもできないようでした。荷物の大半は病院に預けていたので、陣痛の合間にすばやく服を着せ、再びタクシーを拾いに行ってきました。
戻ったときには既にほとんど歩くこともできない状態でした。陣痛が収まっている間にも陣痛のダメージで腰はギクギク、下半身はヨレヨレになってしまっているようです。時計はちょうど10時を指していました。
タクシーの運ちゃんと二人で女房をサポートして車に乗せ、時折車外に呻き声を漏らしながらタクシーは病院へ。
病院で車椅子を借りて女房を再びあの観察室に連れ込みました。とにかくここまで来てしまえば後は何が起ころうと看護婦さんとお医者さんが何とかしてくれる。そう思いました。
しかし、この時点ですら、まだ長いお産の始まりでしかなかったのです。
でも僕は何をすることもできないので、女房の横でずっと腰をさすっていました。それから、陣痛の始まった時間をずっとメモしていました。
ラマーズ法という、陣痛の痛みをのがすための呼吸方法があり、前もって女房と僕でおさらいをしていたのですが、実際に陣痛が始まってみるとそんなものは女房のあたまからすっかり消し飛んでいました。本当に最初だけは「ヒ・ヒ・フー」などと言っているのですが、山が押し寄せてくると全く声にならない声で山が去っていくまで叫びつづけるのです。
陣痛が治まっている間は女房も人の心を取り戻すようで、二人でアクトカルディオグラフの出力したグラフを見ながら「今度の山の形はきれいだね」とか「今度は富士山の形に挑戦しな」とかいうバカな話をしていました。
看護婦さんの話では、陣痛が2分おきぐらいになってくると「分娩準備OK」ということらしいので、陣痛間隔が短くなるのをずっと待っていましたが、依然として間隔は5分〜10分の間でした。
気が付くと時計は午前1時を回っていました。看護婦さんは時々見にきてくれますが陣痛の場合一緒に居たところで何ができるわけでもないので定時以外は何かない限り来ないようです。でも来てくれた時は女房の不安を払拭するために一生懸命話をしてくれました。僕も女房もずいぶん救われたと思います。
いつまで経っても陣痛の間隔は短くなりません。僕は暇かもしれないと自動車の雑誌など買って持ち込んでいましたが、いつ終わるかもしれないこの戦いに勝つためには、「女房が休んでいる間は自分も休む」ことが絶対に必要だということがわかり、陣痛と陣痛の間は一緒に横になって目をつぶっていました。それでも5分に1度は女房の「来た来たぁ〜ぎょえ〜〜」という悲鳴で飛び起きて腰をさすっていたのですからほとんど眠ることはできません。
それでも、「どう考えても女房が今置かれている状況に比べれば自分のほうが何倍も楽」ということははっきりわかっていたので、あまり辛いという感じはしませんでした。
寝たり起きたりはいつ果てるともなく続くのでした・・・・
僕もぼーっとしていますが、女房もかなり参っているようです。それでも陣痛は容赦なくやってきます。
僕は病院の乾燥した空気と疲れで、どうも鼻風邪にやられたようで、鼻水に悩まされるようになってきました。
朝、担当の永谷先生がやってきました。女房が心から信頼している先生です。女房も先生の顔を見て安心したようでした。
先生の話ではまだ子宮口の開きがたりず、もう少しかかるとのこと。ひえ〜。
僕は先生の診察の間外でから揚げ弁当など食っていましたが、女房は夕べからほとんど何も口にしていません。本当に体力が持つのでしょうか。
一晩中腰をさすりつづけて手のひらは指紋がなくなりそうになっています(ウソ)。
女房は右を向いたり上を向いたり左を向いたり座ったりと、なるべく楽な姿勢をさがしているようですが、もう表情も虚ろになっておりかなり限界が近いようです。水すらほとんど飲みません。
膀胱を小さめに保つためトイレにも時々行かないといけないのですが、立ち上がるだけで猛烈な陣痛が襲ってくるらしく、看護婦さんに促され悲鳴をあげながらトイレに行っていました。
お昼頃、別の妊婦さんが隣にやってきました。この人はどうやら帝王切開が決まっているらしく、その前段階の検査をしてここから手術室に向かうようでした。彼女はきっとうちの女房が発する悲鳴を聞いて心の底から「帝王切開でよかったぁ・・・」と思ったのではないかと。それぐらい女房の悲鳴は断末魔のようでした。
彼女の手術担当も永谷先生らしく、彼女と一緒に永谷先生も行ってしまいました。ここからしばらくは先生の力を借りずに乗り切らなければなりません。時計はお昼を指し、タクシーに乗ってからすでに14時間が経過していました。
女房は息も絶え絶えです。「陣痛で障子の桟が見えなくなるぐらい意識が薄れた頃がお産の時期」という言葉の意味がわかってきました。
このまま二日も経てば女房は発狂してしまうのではないかとさえ思えました。
その頃、産科病棟に「おぎゃぁ」という産声が響き渡りました。先ほど手術室に運ばれた女性が無事帝王切開で出産できたようです。
僕は少し「萌っ」としていましたが、女房はそれどころではなく「私も切ってくれぇ・・・もういいから・・・切ってぇ!!!」と叫んでいました。
それから30分ほどして前の女性の処置が終わったらしく、永谷先生が顔を見せてくれました。前の仕事が終わったばかりなのに、ほとんど休むこともせず有難いことです。診察をするので旦那さんはちょっと出てくださいと言われたので、外に出て待っていました。
数分して、観察室の雰囲気が一変しました。「○※★を100ミリグラム!!急いで!!」永谷先生の声が看護婦さんに飛びます。
呼吸も「吸ってぇ・・・・吐いてぇ・・・・吸ってぇ・・・・吐いてぇ・・・・吸ってぇ・・・・イキンデェ!!!」になりました。
息んで?え?産んじゃうの?ウソォ?
女房の声も「イ・タ・イ・!!!イターイ!!!うぎゃぁ!!ヤ・メ・テー!!★※△・・・・」となんだかもう正に断末魔です。
僕は不安になりカーテンの上から女房をのぞきました。それを見た永谷先生は「旦那さんはあっちで待っててください」と。
トボトボと戻りながらキビキビと走り回る看護婦さんを見ていました。こうなってしまったら後は女房の体力と先生と看護婦さんを信用する以外になにもできることはありません。
「吸ってぇ・・・・吐いてぇ・・・・吸ってぇ・・・・吐いてぇ・・・・吸ってぇ・・・・ギギギギギギギギギギ!!!」
ギギギギギギギギって・・・・女房の息む怒声です。はだしのゲンか?
4回ほど息んだところでさらに付近は騒然となりました。看護婦さんはいろんなものを持って走り回っています。
女房は観察室を出て自力で歩いて分娩室に移動していきました。あとで聞いた話ですが、このときすでに頭は出ていたそうです。
分娩台に女房が乗せられた直後、「旦那さんを呼んできて!!」の声で呼ばれました。渡された白衣を着て女房の脇に立ちます。
その後、数回の「ギギギギギギギギギギ!!!」で、新しい命が誕生しました・・・・・
先生の手に取り出された赤ちゃんは、臍の緒が切られママの手に渡されました。僕はこの瞬間をカメラに収めたいと思っていたのですが、実際のその現場に居合わせてみると「自分の女房と子供が生まれて対面したこの瞬間にファインダーを覗くなんてそれは無理!」でした。僕も16時間分の感動で声も出なくなっていました。ただ女房に「お疲れ様」を言うのがやっとでした。
赤ちゃんは3086グラムの女の子でした。一人目の子が帝王切開で小さめだったのと比べると、500グラムぶんほど頼りがいのある雰囲気です。
元気な産声を聞きながら、僕は観察室に置きっぱなしになっていたデジタルボイスレコーダーとデジカメを取りに行ったのでした(やっぱり撮るんかい!!)。