2005年5月

14日  ノミ行為

大学に入ったばかりの頃、男子寮で同室だった先輩に頼まれてよく府中の競馬場まで馬券を買いに行っていました。

当時はバイクの免許を取ったばかりで、先輩の「バイク貸してやるから行って来な」の一言でホイホイと出かけていたのです。

で、府中の窓口で先輩に持たされた「買い目リスト」の馬券を買い、せっかくここまで来たのだからとゴールの前に陣取ってレースを見るのですが、やっぱり外れるのですよ。当たったためしが無い。僕が買いに行った先輩の馬券で当たったものはなかったように思います。

逆に、僕が試しに買ってみた馬券が当たってしまったりして(忘れもしないいつだったか、シャダイカグラとライトカラーが来たオークス)、千円単位の臨時収入に驚いたりして。

そんなこんなで毎回お金を持たされてはずれ馬券を買いに行っていると、何度目かの時に「これって、馬券を買わなければどうなるんだろう」という思いが頭の中をフッとよぎります。どうせ外れるんだしなぁ。って。

でも万一当たってしまったら、おそらくその払戻金相当のお金を僕が自腹で先輩に支払うことになることは目に見えているわけで、でも期待値から言うと、中央競馬会が取っている3割のテラ銭分は儲かるはずだしなぁ。

そんなことを考えながらも、月収4万円の貧乏学生に「万一当たったときの払戻金」が用意できるはずもなく、結局いつも馬券を買って、やっぱり外れていたのでした。

もしあの時僕にある程度まとまった蓄えがあれば、馬券を買わずにポケットにしまいこんで、府中にも行かず秩父にミニツーリングにでも行っていたかもしれません。後で考えるとこれがいわゆる「競馬のノミ行為」の始まりなんだなぁと思ったのでした。

18日  いたづらに外出しするなよ

とは言っても少子化対策の話をしようという訳ではありません。プログラミングの話なのです。

最近、プログラムの中に埋め込まれているさまざまな情報をソースから分離し、外部ファイルに記述してそれを読み込んで動作するようなプログラミングをすることが推奨されています。そのことに関して大枠では僕も異論がありません。

しかし、プログラムの中に現れる数値やデータを何でもかんでもプログラムの外に出してしまえばいいのかというと、そういう訳でもないと思うのです。

例えばよくあるのが、検索画面の実装などで、検索条件に何があるか、検索の結果どういう項目が表示されるのかが外部ファイルに記述されているようなケースです。これ自体には問題はないのですが、こうすることに意味を持たせるためには、唯一にして絶対的な大前提があります。

・ 外部ファイルを操作するだけで、画面も検索条件も自動的に切り替わり、検索結果も自動的に変わっていくようにコーディングされていること。

これです。

当たり前のようですが、これが現場では結構守られていないものなのです。

VBで検索画面を作ったりする場合、検索条件を入力する項目は画面上にコントロールとして配置することが多いと思いますが、こういう場合に検索条件が追加されると、結局プログラムを修正して再コンパイルが必要になることがほとんどです。こんなケースでは、いくら検索条件の項目が外部ファイルに出されていて、検索SQLが自動的に生成されるようになっていても、結局プログラムを再コンパイルしなければならないことは同じなのですから、項目を外部ファイルに出すこと自体無意味です。むしろ、検索条件が変わったときのメンテナンス対象がプログラムと外部ファイルの二つに増えてしまうこと、外部ファイルを読み込んで解釈する部分が発生すること、動作の前提になるファイル(やデータ)が増えて、アプリケーションのデプロイが困難になるを考えると全体的にはマイナスの効果しかありません。ソースの中に検索条件の一覧が列挙されているほうがよっぽど分かりやすく、メンテナンスもしやすくなります。

どうしても検索条件や表示項目を外部ファイルに出したい場合は、意地でも検索条件を入力するコントロールや表示するリストの項目を動的に作成するようにして、画面自体も動的なデザインのものにする必要があります。しかし、画面デザインはお客さんの好みもあり、項目が追加されると微妙に配置をいじる必要があったりして、完全に動的にするというのは実際には難しいものです。

つまり言いたいことは、タイトルに示したように、プログラムの中に登場する多様なパラメータを外部ファイルに出す場合は、外出しする人もさせる人も、よくよくその意義を考えてからにしなさいと、そいういうことなのです。

最近はXMLもだいぶ一般的になって、かなり複雑なパラメータを外部ファイルに書き出しておくことができるようになりましたし、それを読み込んで解釈する部分もずいぶん軽い労力で記述できるようになりました。だからこそ、意味のない外出しをしていないかどうか、今一度自分のプログラムを見直してみるべきではないかと思うのです。

21日  行川アイランド

だいぶ前のことになってしまうのですが、千葉の房総半島にある「行川(なめがわ)アイランド」という遊園地、というか動物園兼公園のようなところに行ったことがあります。かつてフラミンゴのショーで名を馳せたところです。ニュースで閉園の知らせが流れたのを聞き、なくなる前に行ってみたいと思ったのです。

海沿いにユーノスロードスター1600を走らせ、たどり着いたそこはなかなかどうして楽しいところでした。まだ子供がいなかったにもかかわらず、広いところで動物を見ながらのんびりと時間を過ごす、そんなところでした。子供がいればもっと楽しめたに違いありません。

残念ながらこの「行川アイランド」は今では閉園してしまい、JR外房線の駅にその名を残すのみとなってしまいました。ちなみにJRの駅で「なめがわアイランド」のように民間の施設の名前がそのまま使われているところは全国的にも珍しいそうです。

そういえば、あの無数のフラミンゴ達は今頃どうしているのでしょうか。再就職先は見つかったのかなぁ。

聞くところによると、当時千葉県の失業率にはあのフラミンゴの数がカウントされていたとか。

ディズニーランドや鴨川シーワールドもいいのですが、ああいう「整備されすぎている」遊園地よりも、「東京ドイツ村」や「マザー牧場」を楽しむゆとりが欲しいものです。何より、休日は親も一緒にのんびりできるところに行くのが一番だと思うのです。

30日  吸いません

仕事で飛行機を利用する時、同行する上司がチェックインの際、「タバコは吸われますか?」と聞かれ「すいません。吸いません」と言い、受付のおねえさんに苦笑された、そんな血も凍るような恐ろしい経験をしたことははないでしょうか?僕は二回あります。

仕事で飛行機に乗ったことなど数えるほどでしかない僕ですら、複数の人が「たばこを吸わない」というのと「すいません」ということばとをひっかけたオヤジギャグを言う人を二人見ているのです。毎日何百人ものビジネスオヤジを相手にしている受付のお姉さんは一体一日何人分の「すいません」に苦笑する仕事をさせられているのでしょうか。考えただけでも鳥肌が立ちます。

彼女たちは「吸いません」のオヤジギャグを一日中聞き続け、傷ついた心と体を癒しまた明日のオヤジギャグに苦笑する鋭気を取り戻すため暖かい家庭に戻るのです。

今確かに言える事は、国内線、国際線のほとんどが全面禁煙化されて心からほっとしたのは、タバコを吸わない飛行機利用者だけではなかったということです。

窓口で喫煙席/禁煙席が選択できない現在、このような悲劇が繰り返されることは無くなったのでしょうが、まだまだJRの窓口では油断することができません。ただJRの窓口が救いなのは、窓口の向こう側にいる人のほとんどがオヤジであることです。それでもそのオヤジに向かって「吸いません」のオヤジギャグを飛ばす命知らずが現れることも予測されますが、帰ってくるのはおねえさんの笑顔ではなくオヤジの「禁煙席ね」の一言であることを知れば二度と無謀なチャレンジを繰り返すことはなくなるでしょう。

空港の受付のおねえさんに安らかな眠りのあらんことを。