中部以西には知らない人も多いと思いますが、「ホッピー」という飲み物があります。今で言うところのローアルコールビールのようなもので、「加賀屋」に代表される安いモツ焼き屋さんで飲むことができます。通常は焼酎にホッピーを入れて飲むのですが、別にホッピーだけ飲んでもかまいませんし、そういうオーダーのしかたも普通できます。
このホッピー、道交法で飲酒の罰則が厳しくなってからちょっと脚光を浴びているのですが、なにがいいといってまずおいしいのです。そこそこ、ではなく巷のローアルコールビールのなかでもトップクラスの味だと思います。
そして次に価格。飲み屋では250円+焼酎代ぐらいの値段がついていることが多いですが、普通に酒屋で頼むと一本80円ぐらいで入手可能です(カクヤスにオーダーした場合。360cc。ビン代を除く)。現在一番安い「ビール風」飲み物のサッポロドラフトワンですら一本120円しますから、焼酎まで入れても100円チョイのホッピーは本当にサイフにやさしいです。
それに続いて三つ目のメリットがあるのですが、これは明日のネタということで・・・
僕はあまり飲めないほうなのですが、ビールの喉越しというか爽快感は好きらしく、寝る前に一本ビール飲まないと損した気分になるのですが、ホッピーを飲むようになってからアルコールで酔うことにあまりこだわりがなくなり、アルコール摂取量は以前よりずいぶん減ったように思えます。
ビールをどうしてもやめられないというひと、一度ホッピーを試してみるといいかもしれませんよ。
今彼ら四人が日本でツアーをやっていて、今日は渋谷公演の二日目でした。
久しぶりのライブだったし、何よりナマで彼らを見ることができた感動はひとしおで、もう最初の曲から涙がこみ上げてきました
話に聞いていた「クラフトワークのライブのお約束」をひととおりやってくれました。感謝感謝。そして、元気に長生きしてまた日本にやってきてください。
これじゃいかんということで、もう少し感想など。
クラフトワークというグループ自体、17年間ニューアルバムを出してなかったので、ニューアルバム収録の曲以外はほとんどが20年以上前の曲なわけです。聴いているほうもやっているほうもそれは十分に心得ていて、なんというか水戸黄門のように「待ってました!」という演出が出てきて大盛り上がりでした。
途中メンバーが一人もステージにいない状態でまるまる1曲演奏したりするのですが、人間が一人もいないステージに向かって会場全体が大盛り上がりするライブも珍しいだろうなぁ、と思いながら自分もその異常なシチュエーションにいるのがうれしくて、同じように盛り上がってたりして。いったい自分は何にそんなに盛り上がってたんだろうなぁ。
ちなみに演奏された曲はだいたい以下のとおりだと思います。
1
Die Mensch-Machine (「人間解体」より)
expo2000 (「expo2000」より)
Tour De France (「ツールドフランス」より)
Vitamin (「ツールドフランス」より)
Tour De France (「ツールドフランス」より)
Autobahn (「アウトバーン」より)
Das Modell (「人間解体」より)
Neonlicht (「人間解体」より)
radioactivity (「放射能」より)
Trans Europe Express (「ヨーロッパ特急」より)
2
Numbers (「コンピュータワールド」より)
Computer World (「コンピュータワールド」より)
Dentaku (「コンピュータワールド」より)
3
Die Roboter (「人間解体」より)
4
Elektro Kardiogramm (「ツールドフランス」より)
Aero Dynamik (「ツールドフランス」より)
Boing Boom Tschak (「エレクトリックカフェ」より)
Musique Non Stop (「エレクトリックカフェ」より)
曲の後に収録アルバム名をつけてみました。僕の世代では圧倒的にアルバム「コンピュータワールド」で、それに続く好きなアルバムは「放射能」「人間解体」と続きます。ニューアルバム「ツールドフランス」も結構いい感じで好きになれそうです。
それにしても寡作だなぁ。次のアルバムは出るのだろうか・・・
このビデオは「STICK」という比較的新しい楽器を愛する人たちの集うライブを収録したもので、画質はいまひとつながらこの楽器の可能性を十分に見せてくれる。
STICKというのは、一見ボディーのないギターのようだがギターのように片手で押さえて片手で弦をはじく、というような弾き方をするのでははく、両手ともに指を勢いよく弦にたたきつけることで押さえることとはじく事を同時にやってしまい、メロディーと伴奏を同時に演奏するという奏法を前提にした楽器である。だいぶ前にスタンリー・ジョーダンというギタリストが普通のエレキギターでこの奏法をやって話題になったが、STICKはこの奏法専用の楽器として生まれたものである。
日本ではイシバシ楽器が主に輸入販売をしている。イシバシのSTICK Webページ
新しい楽器が出てくるたびに思うのだが、こういう楽器を考え出すところまではともかくも、実用的な楽器として認められるまでの間、ワケのわからない楽器を手にして音楽的に完成されたものを作り出すべく努力して先駆者となる人達は本当にエライなぁ。今でこそ普通の楽器になっているエレキギターやエレキベースもこういう時代があったわけで、それまでのフォークギターやウッドベースといった伝統的な楽器のプレイヤーを横目で見ながら、しかも半ばコケにされながら新しい楽器の可能性に取り組んだ人がいたからこそ今ような時代がやってきたわけで。
いつの時代もこういう「変人」なしでは次の時代はやってこなかった!ということで、みんなももう少し自分の周りの変人を見直そう。
別に「STICK」奏者を「変人」だと言ってるわけじゃないんですが。
これだけなら別に目新しいこともないのですが、開店前付近一帯に配られたチラシを見ると、実に怪しい点があります。
で、開店後店先から中をのぞいてみたら、
いわゆる「SF商法(催眠商法)」と呼ばれる、悪徳商法の巣なのだと思います(詳細はリンク先)。
世の中にこういうものがある、ということをある程度知っていればひっかからずにすむのですが、心配なのは昨日覗いた時、パイプイスにずらりとおばあちゃんが並んでいたのを見てしまったことです。彼女達の運命やいかに・・・・
確定申告というのは、自営業者が昨年の所得を計算して税務署に届ける作業のことです。所得というのは、収入から諸経費を引いた金額のことで、これに税金がかかるわけですが、これを自分で計算する(させられる)ということは、なんと言うか自分が入る墓穴を自分で掘らされているのと同じ状況なわけですね。払う側の立場としては。
で、作業をしているうちについつい「イケナイ」ことを考えてしまったりするのですが、申告書ができあがるまでの過程というのは、ずっとこの「イケナイ」気持ちとの戦いであったりするわけです。1枚の領収書を前に、これを経費にするかしないか、右の悪魔君と左の天使さんが言い争いをするのです。
毎年毎年こんな気分にさせられるこの季節は本当に地獄のようです。自分で自分の墓穴を税務署員の前で掘って見せ、「ほら、今年もこんなに立派な穴を掘りました」と見せて税務署への忠誠を誓っているような、そんな絵を頭に描きながら今年も領収書の仕分けを続ける毎日なのです。
で、寝ないで何をやっているのかというと、ずーっとおもちゃで遊んでいるのです。まぁ、おもちゃを買った親からすると「喜んでもらえて光栄」なのですが、「そんなに面白いものなのか?息子よ」という疑問も湧いてきます。
それにしても、こんな時間に子供を寝かしつけて僕は何をやっているのかというと、こんな駄文を書いているのですから、子供が誰に似てしまったのか分かろうというものです。
ぅぅ・・・眠い。でも確定申告の続きをやらなくては・・・・
自分がこんな歳になっただけでも驚きなのに、1歳の子供が大学を出るころには55歳以上になっているという恐ろしさ。本当に大丈夫なのでしょうか。
現在プログラマという稼業で口に糊しているのですが、このプログラマという職業自体、社会的に認知されてから長く見積もっても50年ぐらいの歴史しかありません。大工という職業(女房の実家)がおそらく2000年以上の歴史を持っていることから考えると、その身分はまさに時代に流される木の葉のように不安定です。
15年後、もしどこかで、考えるだけで答えが頭の中に直接出力されるデバイス(電気モノとは限りません。もしかすると生物系かも)が出現するかもしれません。若い人はその物体といとも簡単に交流して便利に使っているけど、50歳になっってしまった僕は頭のどこをどう使ったらそのモノと通信できるのか、どうしてもわからない。まるで裸眼立体視ができない人のように、できる人から見れば「なんでできないの?」といった目で見られるような状況になるわけです。もしそんな時代が来てしまったら、僕は息子を大学にやれるでしょうか・・・。
少年時代に必修だったソロバンをだれよりも上手になるまで練習して、ソロバンの先生になった人がいました。その人たちは「Microsoft Excel」の登場を少年時代予見できたでしょうか?まさか数字をボタンで入力するだけで串刺し演算からゴールシークまでやってしまうモノが自分の生きている間に出現するとは思いもよらなかったに違いありません。
ソロバンの先生の中には、年齢のハンディキャップに負けずパソコンスクールに商売を変え、時代の流れに乗っている人もいれば、ソロバン教室を閉めて隠居してしまった人もいるでしょう。
少年時代にPC-8801MkIIと過ごした僕はデジタルデバイドの時代を幸いにも生き残ることができました。しかしOutlook Expressを前に電話を握り締めている初老の紳士を見ると、「コツさえつかめば考えるだけで答えが分かる謎のモノ」を前に戸惑う自分の姿を重ねてしまうのです。
このアニメ、初期のころは「ももたろう」やら「うらしまたろう」なんぞをやっていたのだとは思いますが、このあたりの有名なネタが切れはじめ、しかも困ったことに番組の人気も急上昇していたこともあってか、中盤から徐々に過激な路線をとるようになってきます。アニメも普通のアニメタッチとは全く異なった、現代美術に近いような抽象的な絵が使われるようになり、それとともに二人の声優さんのテンションも果てしなく上がっていきました。
そんなハイテンションな昔話の中で、僕の心の中に深いトラウマを残していった作品があります。もうタイトルまではっきりと覚えているのですが、「とうせん坊」というようなタイトルの作品でした。
覚えている範囲であらすじを書きますと、
この話が終わった後、夕食の一家団欒を迎えていた我が家に何とも言えない不愉快な空気が流れ込んだことを覚えています。それから25年以上の歳月が流れた今でも、たった一度しか見ていないこの話の詳細をここまで覚えてしまっているほど、この話は僕にとってショッキングでした。「本当は怖いグリム童話」よりもよっぽど怖い。
この話は果たして本当に日本のどこかに伝わる昔話なのでしょうか?僕には過激な絵本作家のかなり実験的な作品のように思えてしかたありません。Googleでとうせん坊を検索したのですが、飲み屋の名前以外ヒットもない現在、この話の詳細をご存知の方がいらっしゃいましたらどんな情報でも結構ですのでkatayama@randmax.jp(←半角に変換してください)までご連絡くださいませ。もしかするとタイトルを覚え違えているのかもしれませんが。
って、実はこの話好きだったりするんですよ。結局。
今年から青色申告のメリットを生かすべく女房に専従者になってもらった。もちろん女房はもともとプログラマなので仕事も手伝ってもらったりということはあるのだが、女房を専従者にすると女房の申告書まで出さないといけない。めんどくさい・・・・
でも女房を専従者にするメリットは計り知れないので、今年から挑戦してみることにした。還付金をどうしようかなぁ、と僅かなお金に想いを馳せる今日この頃。
ちなみに現行制度では専従者の所得は103万円を超えないほうがいいです。配偶者控除が付くし。どうせ配偶者特別控除はなくなっていく方向なので。
昨日は確定申告に税務署行ってきたりして、疲労感と還付金を得た勝利感とでBLOGな気分ではなかったんだなぁ・・・っていったい誰に言い訳してるんだ?オレ。
ちなみに今日は文体もちょっと違うなぁ。
オープンカーに乗っているとよく「夏は気持ちいいでしょうねぇ・・・」というようなことを言われるのですが、これは全くの誤解です。実は夏のオープンカーは地獄です。陽射しは降り注ぎ、黒い内装は灼熱のオーブンを作り出します。幌をあけている限り冷房など効きはしないですし、なにより1600cc自然吸気のエンジンは快適な走りをするためのぎりぎりの出力で、冷房をつけるとすぐにだるい走りになってしまいます。だから夏のオープンカーは「我慢」の二文字でしかありません
対して冬はというと、これは夏ほど厳しくはありません。暖房はエンジンに負担を与えないのでガンガン効かせられますし、いくらでも着込むことができますから、普段外を歩く格好にひざかけでもかけておけばほとんど寒さを感じることはありません。
総じて言えばオープンカーで屋根を空けて走っても暑くも寒くもなく、オープンカーのいいところを100%純粋に感じることができる季節は、春に2週間、秋に2週間ぐらいの範囲です。その「オープンカーの季節」を満喫するために、残りの11ヶ月間、我慢我慢の日々を送るのがオープンカー乗りなのです
哀れロードスターはかわいい男の子と入れ替わりになるように売られていってしまいました。僕と同じような境遇のオープンカー乗りは決して少なくないはずです。
というわけで、僕のオープンカーライフはここで「一旦」終わりを告げたわけですが、これから殊勝にもオープンカーを選びたいという人のために、いくつか感じたことを書いておきましょう。
出ないかなぁ・・・RX-8のカブリオレ・・・
そのひとつがアクセスログです。ウチにはお友達のホームページもいくつかあり、外からメンテナンスできるようにFTPサーバを立ち上げているのですが、本当に毎日のように知らない人から「ノック」されるのです。とりあえず最初は皆さん「anonymous」で入れるかどうか試してみるようですが、それがダメとわかると「oracle」とか「scott」とか「mysql」「postgres」「sa」などのようにDB系のIDを試してみたりしてます。あと「temp」とか「1234567890」とかいう適当なものから、「Administrator」や「root」「master」「admin」などの特別なユーザー名、果ては「dominique」とか「morgan」とか「roger」とか、いそうな名前のユーザー名を片っ端から試してみたりしています。
おそらくこういうことを自動的にやってしまうツールを使っているのでしょう。WindowsNT系のOSでしっかりパッチがあたっている場合は、Administratorのパスワードさえきちんと管理しておき、あとはanonymousの権限を解除しておくだけでかなり安全になりますが、IISのFTPサーバはデフォルトの状態で何も考えずにFTPサイトを丸裸のまま立ち上げてしまいますので、なんとなくIISを入れてしまった人は今一度設定を確認してください。
サーバを立ち上げている皆様、意図していない来客は「必ず」やってきます。しかも「毎日のように」やってきます。対策をしておかなければ「間違いなく」短期間でハックされてしまいます。インターネットに関して言えば「なんとなく自分は大丈夫」ということはありえません。きちんと戸締りをして、オオカミが入れないようにしておきましょう。そして最後にこれが一番大切なことなのですが、アクセスログを定期的に(できれば毎日)確認するようにしましょう。世の中で何が起こっているのか、アクセスログから分かることもありますので。
コンピュータが扱える漢字は時代とともに少しずつ増えていきました。最初の頃のパソコンはJISが決めた最低限の漢字しか扱うことができませんでしたが、現在のWindowsXPはもっとずっと沢山の文字を扱うことができるようになっています。
しかし、現状で十分かというと、そういうわけではありません。現在のコンピュータは漢字一つに文字コードという番号をふり、それで文章を管理しています。このHTML文書も実際そうなっています。そうなっているからには、文字コードが振られていない漢字を使うことは基本的にできないということです。全部の漢字に文字コードをふってしまえばいいということになるのですが、これが簡単なことではありません。
例えば、異体字の問題があります。有名なところで、ワタナベさんという苗字の方の漢字表記は「渡辺」「渡部」「渡邊」「渡邉」と、IMEが変換してくれるものだけでも3種類あります。このうち最初の二つは明らかに違ったものですが、後二つのワタナベさんは最初の「渡辺」さんとちょっと似ていますがだいぶ違います。名刺などでこの「ややこしいほうのワタナベさん」に遭遇した人は少なくないと思いますが、大多数の「ワタナベさんでない人」の中には後半の二つのワタナベさんを区別する必要があるのか疑問に感じる人も多いのではないでしょうか。
しかし実際「渡邊」さんに対して「渡邉様」などという手紙を書いたりしようものなら大変失礼なことになってしまいます。まだ「渡辺様」とバッサリ書いてしまったほうがましかもしれません。頭が悪いと思われるかもしれませんが。
この非常に紛らわしい「渡邉/渡邊」さんは、実はこれだけではないのです。これ以外にも細かい字形の違いがあるものが無数にあります。で、ワタナベさんは結構高い割合でこの細かい字形にこだわるのです。
僕は別にワタナベさんが悪いとか迷惑とか言ってるのではありません。現行のコンピュータシステムには彼らを含む多くの「少数派漢字ユーザー」の要求を満たすことが根本的に難しい、という現状の方に問題があるのです。(以下続く...はず)
今も鼻水をタラーとたらしながら書いております。辛い・・・・
日が暮れる寸前に急いでテントを張って、炭火をおこして、釣った魚を焼いてビールを飲みながら、キャンプ場の受付の時にもらった小冊子を読んだ。
そしたら「百人浜の由来」にこんなことが書いてあるじゃないの。
{襟裳岬から広尾方面に向かう広く美しい砂浜「百人浜」は、その美しさとは逆に悲しい言い伝えが残されている。それは、海の難所として知られる襟裳岬周辺海域で、南部藩の大型船が遭難し多くの水死体がこの浜に打ち上げられ、わずかばかりの生き残った人も、飢えと寒さで亡くなったというもの。その数が100人にもなったため、百人浜と名づけられたという。 」
ランタンと炭火だけの暗闇の中で、
「これからここで寝ようという人間になんちゅうもんを読ますんじゃ!!」と
思いながら一人恐怖したのを思い出す。
朝起きたらキャンプ場の入り口に慰霊碑が建っていた。中にはお経を書いた石が今でも百個詰まっているらしい・・・。
そこんところを押して、査察を受け入れたのに、見つかるまで徹底的に調べるようなことをされちゃうと、
誰の家だって見せたくないところの一つや二つあるでしょう。 もしそこに核兵器があったとしたら、それはまぁビンゴなんでしょうが、持ってなかったとしたら、調べられるほうはなおさら、謂れのない汚名を晴らすために、なんでそんなプライベートなところをフルオープンにさせられなければならないのかと思うでしょうね。もし屈辱に耐えてそこをオープンにしたところで、今度は別のところに疑いの目が向けられるだけだろうし。
要はこういういいがかりをアメリカにつけられた時点で終わってたんだろうね。それを体で解らされてる日本はアメリカを敵には回さないんだろうなぁ。
実際買ってみてわかったんですが、弦が六本あるというのは非常に大変なことです。おまけにこのベースは35inchスケールといって、普通のベースより1inch弦長が長いのです。そのせいでテンションが高く、普通に弾くだけでも大変です。ジャズベースと同じ力で弾いてもちっとも鳴ってくれないので、押さえるほうも弾くほうも力の限りです。
でもしかし普通の用途で六弦が必要なシチュエーションってなかなかないですねぇ。5弦ベースほど六弦が普及しない理由も少しわかります。弾いてない弦をミュートするのも非常に気を使いますし、弦代も倍ぐらいかかります。
でもパティトゥッチみたいに・・・などと思ってると、つい六弦に手が出る毎日なのです。
この楽器、30万円もするんで購入時ずいぶん考えたのですが、「30年使うとするなら1年1万円で1日ならわずか30円弱!」などという、テレショップの決めせりふのようなことを頭で考えていました。早い話自分で自分をサギにかけたようなもんですね。でも高額商品の購入って多かれ少なかれそういうことがありそうです。
しかしそんなことよりももっと大切なのは、DNSがインターネットを支える基幹技術であるという責任です。Webサーバが落ちようがメールサーバが止まろうが誰に迷惑がかかるわけではありませんが、DNSの設定情報は一度セットするとさまざまなところに自動的に転送されていきます。変なことをやるといろいろなところに迷惑がかかる可能性もあります。だからDNSの設置や移行はかなり気を使う作業になります。
また、DNSは止まってはならない機能であるため、セカンダリというバックアップのサーバを別に用意する必要があります。これは自分のところで立ち上げるのも大変なので、プロバイダのサーバを間借りすることになるのですが、こちらで作成した設定情報が自動的に転送されてしまうため、これまた変な設定ファイルを作るとこちらにも迷惑がかかってしまいます。
まぁ、今のDNSはちょっと変な設定が来たぐらいでおかしくなってしまうことはないでしょうが、散々注意してDNSの移行が終わり、Linuxサーバの電源を落としてホッとしているところなのです。
今回ドメインサーバを移行したのに伴ってルータの設定変更もしなければならなかったのですが、このルータ、バーチャルサーバ機能(特定のIPアドレスのリクエストを全て指定したローカルマシンに送る)機能をONにしておかないと、どうしてもローカルサーバ機能(このルータの守備範囲のIPアドレスに来た特定のポートへのリクエストを常に特定のローカルマシンに送る)が正しく動いてくれないのです。ローカルサーバ機能だけを使おうとすると外からのパケットが全てブロックされローカルマシンに届かない。
もしかするとローカルサーバ機能を設定しただけではファイアウォール機能でブロックされたままになってしまうのだろうか・・・だとするとちょっと気が利かないと思う。明日試してみよう。
これを見た瞬間に頭の血が沸騰してしまった。東京電力は去年の夏の不祥事のことをすでにみんな忘れたとでも思っているのだろうか。原発のトラブルを隠し、発覚したら頭を下げ、直しましたからといって原発を動かそうとし、反対をされたと言っては東京都民に「こんな訳なので電気をなるべく使わないでください」とお願いしたのをもう忘れたというのか。
確かに当時止まっていた原発のほとんどは地元と合意がとれ、夏までの再開にこぎつけてはいるが、だからといって電気の消費を推進するような広告を出すというのは少しふざけすぎなのではないだろうか。
もう一つ腹が立つのは、テレビCMで「子供達に宿題を残さないように」「原発の高レベル廃棄物を捨てる場所を募集しています」というメッセージを垂れ流していることだ。
僕は原発に賛成かと聞かれれば「不要」の立場をとるようにしている。また原発の是非以前に、火力発電所だろうが水力発電所だろうが、今より少ないほうがいいに決まっていることも明らかだ。
原発が不要であると僕が考えている理由は、そもそも電気需要の多くがさっきの吊り広告のように「作り出された」需要だからだ。原発を推進する側の多くは、増える電力需要に答えるためと主張しているが、これらの需要ははっきり言って「電気が安いから」生み出されているに過ぎない。なぜ電気が安いかといえば、廃棄物を捨てる方法も決めないまま原発を大量に稼動させたからだ。安く供給できるから「サイフにやさしいIHクッキングヒーター」などという広告が打てるのだ(本当にガスと比較して安いのかどうかは知らない)。
要は、電気が必要とされているのは、電気が他のエネルギーより安価に供給されているから、他のエネルギーで賄えるものもまで電気を使うようになっているからだ。資本主義なのだから、安いエネルギーに需要が集中するのは当たり前のことだ。問題は、この価格/需要バランスが原発によってもたらされていることを、原発の需要にすりかえてしまう電力会社のウソである。
試しに、今後15年間で段階的に原発を(できれば火力発電所の一部も)全廃する計画を立ててみよう。供給電力が段階的に下がるにつれ、電気料金も段階的に上げていく必要があるだろう。15年後には電気代が今の3倍になると予想されるかもしれない。
そうすると世の中はどうなるだろう。15年間の間に減価償却が終わった機器から順番に省電力型、もしくは他のエネルギーを使う商品に買い替えが進むだけなのである。電気代が3倍にあがることが予想されるなら、省電力型の商品を開発するために費やすことができる開発コストや生産コストもずっと増やすことができるのだから、家庭用燃料電池や太陽光発電装置の高性能化、低価格化、量産化が進み、今よりもずっと普及することになるだろう。今こういった機器の開発や普及が進まないのは、単純に電気が安いからなのである。コンピュータのプロセッサも巨大なファンを搭載しないと動かないようなものは本当にそれが必要なところだけに使われ、家庭では50W程度で動作するコンピュータが中心になるだろう。実際ホームユースの大半は現在でもそれぐらいのコンピュータで十分だ。
そう考えると、原発を含む電力供給を15年後に半分にし、電気代を3倍に上げたところで誰も困らないことになる。急激な変化は社会に深刻なダメージを与えるだろうが、大半の電気機器が償却されるスパンで考えれば何も問題はないのだ。
いいかげん電力会社は「東京の電力消費の40%は原発」「核廃棄物を埋める場所を募集しています」などという広告と「IHクッキングヒーターは経済的」などという広告を同時に出すのをやめるべきなのではないか。どう考えてもこの二つは矛盾している。
しつこいようだが繰り返す。電気が安いから便座を電気で暖めたりするのだ。電気が安いからなんとなくテレビや電灯をつけっぱなしにするのだ。電気の供給が減り価格が高くなればみんなこまめにスイッチを切るようになるだけなのだ。需要と供給は長期的にはバランスする。需要と供給を同時に作り出すような広告の打ち方をする前に、自分達が売上を上げるためにしていることが後世にどのような影響を残すのかを電力会社は真剣に考えて欲しい。
その余韻も手伝って、東京物語は最初から画面の隅から隅までなめまわすように、台詞の一つ一つをかみしめるように見てしまいました。なんと言うか、無駄がないんですね。結構長い映画なんですが(2時間以上)、一度この映画の独特なテンポに気持ちを乗せてしまうと、お終いまでずっと快適に見てられます。
秋刀魚の味にしろ東京物語にしろ、扱っているテーマは重いですね。悪意のない人間関係の中に潜んでいる底の見えない淋しさ、とでも言うのでしょうか。結婚して子供ができて家庭を作ってしまうと、嫌が応でも感じさせられてしまう家族の距離感を淡々と描いているように思えます。
それにしても小津の映画に出てくる女性はなんかいいなぁ・・・(除杉村春子)。
でもこのニュース、会見を見ていても発言にどうしても納得できないところがあります。
最初に、国民年金に「加入してなかった」のか「支払いをしてなかったのか」ということ。
普通国民健康保険と国民年金は役所の窓口は隣同士になってて、健康保険の手筒気をすれば年金の手続きも必然的にやらされる(次はあっちの窓口で年金の手続きをしてくださいと言われる)ものです。こう考えると、国民年金に加入をしてなかったなら、国民健康保険の手続きもしてないはずなのですが、いくらなんでもそれはないでしょう。江角マキコが十数年一度も医者に行った事がないなら別ですが、一度でも病院に行ったなら保険証の提出は求められるし、医者に行くときは保険証を持っていくのは子供でも知ってます。
となると、保険証は持っていて、年金にも加入してたけど、掛け金は払ってなかったと考えるしかありません。しかし、契約して掛け金を払わなければ最初の2年間はかなり激しい請求を受けます。毎月請求書が来ますし、役所によっては電話もかかってくるし訪問も受ける。忘れてたですむ問題じゃありません。ただ、こういう請求攻撃も10年は続かないでしょうから、「そういうのが前にあったけどずっとシカトしてたのを忘れてた」ということはあるかもしれません。でも、自分が年金のCMに出て、ああいう発言の台本を見せられたら、普通思い出すでしょう。年金払ってなかったこと。
もしかして江角マキコは国民健康保険にも契約してなかったのかも。彼女の所得ならよっぽどの大病をわずらわない限り払う額のほうが多くなるだろうし、万一大病しても無保険で切り抜けられるぐらいの貯金はあるだろうから。まぁいずれにせよ人前で言えることではないけど。
また会見で彼女は「確定申告の欄に払っているということになっていました」というようなトンでもない発言をしているのですが、こういう発言をする人が、税金の制度とメカニズムを理解して、 自分で申告書を書いていたとはとても思えないのです。
自分で申告書書いてる人は、この発言が「絶対に言っちゃいけない」レベルのものであることは口に出す前にわかるはず。自分が書いた原稿でなくても、目を通した時点で削除するな普通。
ということは、申告は税理士にまかせっきりで、自分は何も考えてなくて、申告書の社会保険の欄も税理士が適当なことを書いてたんだろうなぁ、と思われます。
となれば有罪は税理士。もちろん江角マキコは追徴課税ですね。
きっとあの会見の原稿を書いた人はサラリーマンなんだろうなぁ。税務署の所員が昼飯を食いながら見てたらお茶を吹くよ。
万一、江角マキコが言ってた「払ってない(加入してない)の知らなかった」のが本当なら、なぜそういうことになってしまったのかを徹底的に調べることは必要だと思う。普通にやってればどこかしらで不都合が生じて気づくはずだし、もし加入してないことに気づいていない人が他にもいるならそちらの方がよほど問題ですから。
このページの見栄えをよくしたあたりを足がかりにして、ちょっと他のページの見栄えも変えていってみようかと思う今日この頃。
スタイルシート使うとやっぱりきれいになるからなぁ。
政府の計算では、「今払い込んでいる人が黒字になることは明らかだから払わないと損」ということです。この数字にどの程度信憑性があるのかは別にして、「今払い込んでいる人が黒字になる」ことだけで安心できると考えている役所はもう少し頭を使って欲しいと思うわけです。
年金は貯金ではなくて、今払っている若い人の掛け金を、受け取っている人で分配するシステムになっています。この仕組みは今後も変わりそうにありません(大規模に税金が投入されるなら話は別ですが)。ということは、「我々が受け取る側になった時に、掛け金を払う若い世代の人が将来得になる」ような計算ができていない限り、我々が安定して年金を受け取ることが保証できないはずです。
解りやすく書くと、
でもこの考えをおし進めていくと、
このあたりが「年金は国家が運営するネズミ講」と言われる所以なんだと思いますが、高度経済成長期で人口も増えつづけ、それが永遠につづくという幻想を持てた昔ならともかく、この制度がずっとうまくいく保証は今のままではありません。
結局、年金制度はどこかで根本的な改革(意識改革も含めて)をする必要に迫られるでしょう。以下のような方法でです。
で、こんふうに半ば自暴自棄にぼやいてる僕も、女房のぶんまで掛け金払っていたりするわけなんですよ。
うろ覚えですが、学者の先生が「本のインクの匂いが便意を催すのではないか」というようなことを答えていました。が、それはたぶん違うと思います。
なぜ断言するかというと、僕自身が強くそういう傾向を持っているからです。僕はインクの匂いにやられているのでしょうか?違うように思えます。なぜなら、僕は同じような症状を「CD屋」「レンタルビデオ屋」などでも催すからです。インクが全くなくはないにしろ、これで便意を催すなら、新聞を読んでいるだけでそうなって不思議ではありません。
Googleで「本屋 便意」で検索すると、「本屋に入るとウンコしたくなるのは何故か 」というそのものズバリなページが最初にひっかかってきます。このページでは、「トラウマ説」「インク説」「姿勢説」「プレッシャー説」があげられていますが、僕の感覚で納得できるものはありません。
では僕の説はどうなのかというと、「非常に大量の情報を摂取しなければならないというプレッシャー」が精神面から大腸/直腸に激しく作用している」というのが直感です。CDやビデオでも同様の症状が出ることからも、大量のコンテンツタイトルのインデックスを見ることから来る心理的作用が便意を誘発しているとしか僕は考えられません。それとともに、「何か新しく楽しいことを見つけられるかもしれないという期待感」と「どれかを選ばないといけないというプレッシャー」もからんでいるように思えます。
もちろん、僕の感覚が全てではないと思います。この件に関しては、できるだけ沢山の「経験者」から話を聞いてデータを収集する必要があると思います。これまでこの問題(というほどでもないのですが)に対する回答があまり的を射ていないように思えるのは、回答する人の中に「オレも」という人がいなかったからなのではないでしょうか。
困ったことにこの機種、どのカートリッジが切れてもクリーニングできなくなってしまうのです。詰まってないノズルのインクが切れてもクリーニングできなくなりますから、余計頭に血が上るのです。
でもまぁサポートに電話してみると無料で取りに来てくれて、無料で修理して配達してくれるとのことなので、1週間ぐらいプリンタが使えないことさえ目をつぶれば、まぁいいか、というところです。
確か買ったときは4万5千円ぐらいではなかったかと思うのですが、恐ろしいことに7つのインクタンクを持ち、そのインクカートリッジが量販店で各色1000円前後もします。ということはインクを全交換すると7000円もかかるわけで、発売当初ずいぶん批判も浴びたようです。
プリンタのインクが高価なのは、プリンタのビジネスが本体で儲ける方法から消耗品で儲ける方法に変わったからです。まぁ、インクのタンクの中に入っているインクを見ると、確かに「このインクだけなら単価せいぜい10円ぐらいなんじゃないか、それを100倍の値段で売ってるなんて暴利にも程がある」という気持ちになるのもわからなくはありません。怒っている人も結構います。
ところが僕はあまりこのビジネスモデルに批判的な気持ちになっていません。なぜなら、今のプリンタはとてつもなく安いと思うからです。僕が最初に触れたパソコンは、兄が必死にバイトして買ったPC-8801MkIIでしたが、これは本体20万(含漢字ROM)、モニタ10万、プリンタ25万ぐらいの値段だったように覚えています。今の標準的なデスクトップパソコンが10万円前後でモニタも7〜8万円であることを考えると、フラッグシップのプリンタが5万円程度で売られていることはかなりの安値感を感じます。
インクや紙は使わなければ減らないのですから、いつでもプリントできる環境を5万円で手に入れられる現在は「あまりプリントしない人」にはお得だと言えるのではないでしょうか。置き薬のようなもので、高いと思う人は使う量を減らせば済むことなのです。
プリンタのついてないコンピュータは、画面に出てきたものが全て「絵に描いたモチ」状態になってしまい、結構空しいものです。かといって、買ってみたところで普通の人にはそう使用頻度が高いものでもないと思います。ですから、プリンタのビジネスモデルが消耗品中心になっていることは、多くのユーザーにはありがたいことなのではないかと思うのです。
僕は1年間でおそらく15本以上のインクを消費していますが、それでも本体価格と合わせて7万円にもなってないことになります。これだけの性能の機械がそれぐらいの価格ならまぁ目くじらたてるほどのものでもないのではないでしょうか。
ただ、メーカーは印刷量の多い人向けに、「本体は高いがインクは安く、紙は普通紙が使える」というものも出したほうがいいと思います。顔料系のプリンタでそういう機種が出れば、怒る人もあまりいなくなると思うのですが。
ここで僕はちょっと「???」になりました。電子辞書がこれだけ世の中に普及しているのに、なぜ紙の辞書のペースで授業をすることにそれほどこだわるのでしょう?電子辞書で早く調べられて、当日学校で予習が終わってしまうならそれはずいぶん結構なことじゃないですか?空いた前日家で遊んでるのがよくないというのは、それは電子辞書の便利さとは全然関係ない話です。
電子辞書では単語を覚えないというのも、それは大変な誤解だと思います。電子辞書には、全文検索をしたり、関連単語に簡単に跳べたりと、紙の辞書にはない長所がずいぶんあります。よく紙の辞書は「前後の単語も一緒に見えるから勉強にいい」という話を聞きますが、そんなことよりも、クリック一発で関連する単語に飛べたほうが語学の理解によっぽど意味があるのはちょっと考えれば解ることです。
そもそも、電子辞書で「必要なときにちょっとの手間で簡単に単語の意味が検索できる」ということは、「単語を覚える」ことの重要性自体が社会でそれだけ低下しているということなのです。なのに、いまだに単語を覚えることが英語の学力だというこだわりを持っているから、「電子辞書は学校に持ってこられると困る」などという本末転倒な議論が起こってくるのです。
計算にしてもそうです。小数点以下何桁の計算を何年生でやるか、ということで揉めているようですが、計算など電卓(もしくは携帯)でやれば済むことです。僕は社会人になってから、割り算の筆算をおそらく一度もやってません。掛け算はもしかしたら何度かやったかもしれない。でも当時は携帯持ってなかったからです。ほとんどの携帯に電卓機能がついている現在、計算を手でやる必要性は限りなくゼロに近いと思います。
そんなことを覚えている暇があったら、「直径3cmの円の円周の長さは?」という問いの「3×3.14=9.42cm」という答えに突っ込むような論理性をもっと早く身に付けるべきです。正しい答えは「3×3=9cm」なのです。直径の有効数字が一桁なのだから、それに3桁の数をかけることに意味がないのは、ちょっと考えればわかるはずです。
逆に、直径5121cmの円の円周を求める計算を3.14でやることも間違っています。これの答えは「5121×3.14=16079.94cm」でもなければ「5120(5.12×10^3)cm×3.14=16100(1.61×10^4)cm」でもありません。「5121cm×3.142=16090(1.609×10^4)cm」なのです。本来円周率は無限の桁数を持っているのですから、直径の方を「自分が知っている円周率の桁数に丸め」る必要はないのです。そんなことをしては円の直径を5121cmだと一生懸命計測した人に大変失礼になります。だから「円周率を何桁で教えるか」という議論自体元々全く意味がないのです。
円周率など「およそ3」で十分です。円周率の実値が問題になることなど人生の間で本当にわずかな期間です。小学校のころから記号を教えてとっとと「π」に移行してしまえばいいのです。社会に出てしまえば、電卓の使い方や表計算ソフトの基本概念を理解していることの方がよっぽど重要です。僕はおそらく割り算の筆算のやり方を忘れていますが、それは必要なかったからなのです。
そろそろ、小数点の計算が何桁できるかとか、単語を何個覚えているかとかいうことを学力のモノサシにするのはやめませんか?