「最近の人は指輪物語も読まずにファンタジーを語っている。カニカマボコしか食べたことがないのにカニを語っているようなもんだ」
というようなことです。その人は恐らく指輪物語を読破したのでしょう。ちなみに僕は1巻で挫折しましたが・・・・。
で、僕がその時思ったのは、「指輪物語とて何も無いところからできてるわけではないのに、なぜ指輪物語をファンタジーの基準にするのだろうか?」ということでした。
確かに指輪物語はファンタジーの古典中の古典ですが、発表は1950年代で、比較的新しい方です。火星シリーズが戦前から続くファンタジー作品であることを考えると、少なくとも「指輪物語を読めばファンタジーを語れる」というようなものではないはずです。
結局何が言いたいのかというと、「○○も知らないくせに」というような言い方は多くの場合恥をかくだけだ、ということなのです。こういう場合、自分の世代では当たり前だったことを後の世代の人が知らないことに世代間ギャップを感じて、というケースが多いと思うのですが、大抵、もっと上の世代の人の視点で見ると、自分も「○○も知らない人」になってしまうものです。
ちなみに、今和食の王道になっている「にぎり寿司」は、今で言うところのインスタント食品でした。もともとの寿司は魚と飯が乳酸菌発酵した結果できる酸味を味わうものでしたが、それだと作るのに時間がかかりすぎるのと、風味が強すぎて「臭い」というところもあり、米だけを発酵させた酢をご飯にまぶして食べる直前に魚を乗せて出す今のスタイルが生まれたのです。
今では、寿司を「インスタント食品」と呼ぶひとはあまりいませんね。今発売されているカニカマボコもいつかは寿司のように定番の食品になってしまうのかもしれません。その頃には本物のカニを口にできることはほとんどできなくなっている可能性もあります。そんな未来はちょっと淋しいですね。
するとどうでしょう。確かにプチプチくんの数は随分増えたのですが、それと反比例するように、水槽ガラス面のコケがきれいになくなっていったのです。
プチプチくん自体は目障りなのですが、照明がついている間は底砂に潜っていて表に出てきません。照明が消えている間はそれこそそこらじゅうプチプチだらけになるのですが、それさえ慣れてしまえば、これは案外いいコケ対策になるのかも知れないと思い始めています。
熱帯魚や水草を育てている人は、必ずコケ対策に苦しみます。で、イシマキガイやヤマトヌマエビを買ってきて投入するのですが、彼らは結構弱弱しい生き物で、ちょっとした環境の変化で昇天してしまいます。
それに比べるとこのプチプチくんは、何度潰しても沸いてくる実に心強い生き物です。コケの食み痕も、無数の小さい貝が這いまわっているので、大きい貝を数個入れるのに比べるとほとんど目立ちません。しかも、数は一定以上に増えないようです。何か密度を抑制するような要素があるのかもしれません。
この「カワコザラガイ」を、もう少しコケ対策として真面目に検討されてもいいのではないか、と思うほど今僕は彼らを可愛がっているのです。
この楽器、フレットレスの方をヤフオクで7万円だったかで落札したもので、新宿で受け渡し家に持って帰って少し弾いただけでえらく気に入ってしまいました。
ジャズベースという楽器自体が僕に元々合っていたのかもしれませんが、この楽器、ものすごくボディ鳴りするのです。なにが違うのかはよく分からないのですが、とにかく弾いていて気持ちいいので、この楽器を手にしたときからエラく練習するようになってしまいました。
VanZandtの楽器の特色を挙げるなら、その塗装でしょう。極薄のラッカー塗装で、オイルフィニッシュともウレタン塗装とも違う独特の柔らかい手触りがあります。反面、塗幕が非常に薄い(薄いところはサランラップ一枚ぐらい)ので、ちょっと何かをぶつけたりひっかけたりしただけで簡単に塗装がはがれてしまいます。
この極薄塗装は、ヴィンテージ、つまり古い楽器の塗装を再現しようとした結果で、音にどう影響しているのかは定かではありませんが、この調子で十年も使っていると、いたるところ塗装が剥げてきて、ある意味「いい感じ」になってくるのは間違いないと思われます。
で、このヤフオクで落札したフレットレスを毎日毎日ずっと弾いているうちに、フレットレスがこんなにいい音ならフレッテッドもきっといいに違いないと、池袋のショールームに行って即日買ってきてしまったのが赤メタリックのフレッテッドです。
どこからどう見てもごく普通のジャズベース(のコピーモデル)なのですが、価格は20万円以上という、かなりの値札が付いているこの楽器、2chでも賛否両論あるようですが、とりあえずは僕にとって「四弦はVanZandtで決定」と言い切れるほど気に入っています。
あまり扱っているところもないのですが、もし見かけたら手にとって弾いてみてください。もしかするといいめぐり合わせになるかもしれません。
この番組、本物の子供が生放送でニュース番組をやっているだけでもかなり驚きモノなのですが、それだけではなく、ニュースの内容に関する解説がとてつもなくわかりやすい、というのが大きなポイントです。
元々思想的にピュアな子供が見るもの、という前提があるからでしょうが、北朝鮮による日本人の拉致事件やイラクで起こっていることなどを、
毎週楽しみにしているこの番組に、不幸な事件が起こっています。そうです。NHKが野球中継をやっているのです。6月は12日、19日と連続で野球中継のために中止になってしまうようです。
一体誰が、NHKに野球中継など期待しているのでしょうか?NHKの本分は野球中経か?「週刊こどもニュース」を休みにしてまで野球中継を見せなければとNHKが思っている理由は何なのか?結構本気で怒り気味の今日この頃なのです。
野球中継など民放に任せて、NHKはNHKらしい放送を頑なにやっていたほうがいいと思うんだけどなぁ。
スパムも手が込んでて、メール不達メッセージを装ってるものやら、いろいろ盛りだくさんです。そんなのが毎日20通ぐらい来ています。
困ったことに、本当に僕が発信したことになっていて、どこかのサーバから僕宛に本物の不達メールが届いたり、ウィルス警告メールが届いたりします。まぁこれは昨日今日始まったことではなく、何年も前からこういう状況が続いているのではありますが。
自分でサーバとホームページを立ち上げていて、そこにMailtoでメールアドレスを書き込んでいると、とにかくものすごい量のスパムが毎日届きます。中継してるサーバも大変だろうなぁと。
とにかくこのスパムを何とかしない限り、インターネットメールというもの自体とても使いづらいものになってしまいそうです。思えばこのインターネットメールも随分古い設計で、インターネット全体を考えると運用も限界が来ているように思えます。
新しいものを設計するのは簡単なことなのですが、それをどうやって世界中に広めるかと聞かれると、誰も答えを出せないところが困ったものです。
ところが、ここ1ヵ月半の電車通勤生活の中で、たまたま痴漢野郎と思しき人間を見かけてしまったのです。
彼は30代後半〜40台前半ぐらいで、満員電車の中で立ったままウトウトしている女性(たぶん20代後半ぐらい)の前に立っていました。で、僕が見るとはなしに見ていると、彼が突然女性の胸のところ、Vゾーンとでも言いましょうか、洋服の胸の開いたところに左手の手のひらをベタッと乗せたのです。その間30秒ぐらいだったでしょうか。
女性はかなり眠かったのか何も反応していませんでしたが、その男の仕草があまりにも自然だったので僕はその二人が夫婦なのだと思っていました。でも男はその後の駅で彼女に何の挨拶も無く降りていってしまったのです。
もしかすると女性は気付いていたのかもしれません。気付いていることを示そうとすると面倒なことになるので、気付かないで寝ているふりをしていただけかも。
女性はだいぶ先の駅で降りていきましたが、電車を降りる彼女を見ながら、本当に痴漢というものは世の中にいるんだなぁ・・・と、小さい頃から聞かされていたUMAに初めて出会ったときのような感慨にふけってしまったのでした。
ハテ、このWebにはそれほど長時間ダウンロードにかかるようなコンテンツはないはずだし、何をやっているのだろう、と思いながらもう少し調べてみると、サーバに接続しているハブのアクセスランプは全く点いていません。
ということは、このアクセスは全てルータで折り返していることになります。
起こっていることを想像するに、
恐らく外からのメール中継のリクエストをルータが拒絶しているだけだとは思うのですが・・・・気持ち悪いなぁ。
その理由は決して受信料が高いからでも、引っ越すと必ず来るNHKのオッサンがうっとおしいからでも、明日の「週刊子供ニュース」が野球中継でお休みになるからでも、NHKの社員食堂のメニューに寿司があるからでもなく、ちゃんとした理由があります。
NHKを放送するためのコストは言うまでもなく受信料から支払われています。その受信料をテレビ所有者に負担させる根拠になっているのが「放送法」という法律です。日本ではこの法律の32条にある「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」という記述を根拠に、テレビを所有している全ての人にNHKが契約を要求することが可能になっています。
これだけでもかなり法律としては理不尽なのですが、最大の問題は37条にあります。
「第32条第1項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信科の月額は、国会が、第1項の収支予算を承認することによつて、定める。」
確かに32条の理不尽な契約をテレビ所有者に押し付けるなら、国会としてもその額をNHKの自由にさせておくことはできない、という考えには十分な根拠があるように思えます。
しかし、逆に考えれば、NHKは「国民から強制的に受信料を徴収する権限を得る代償として、自分達の活動の根源である受信料を決定する権限を国会に与えてしまった」とも言えます。
明日に続きます
このことが何を意味するのかは明白です。NHKは立法、行政にタテつくことができないということです。
もちろん、現在のNHKが行政や国会の批判をしていないかといえば、もちろんそんなことはありません。「クローズアップ現代」や「ETV特集」など、見るべき番組は沢山あります。ただ、NHKが「報道」として行っているこうした放送は、結局のところ「内閣、国会が黙っていてくれる範囲でしか行われない」ということは、NHKを見るべき側が常に意識すべき大切な点です。
このことを示す歴史上に興味深い事件が一つあります。三木トリローという有名なコメディアン兼音楽家兼プロデューサーのような人、今で言えばビートたけし級の人だと思いますが、そういう人が昭和20年代にNHKで「唄の新聞/日曜娯楽版/ユーモア劇場/ジョーダン音楽」といった番組を持っていました。かなり風刺の効いた番組だったようで、「汚職汚職で半年暮らす/あとは議会で寝て暮らす/ヨイヨイ」というような音楽をまぁNHKで放送していたわけです。
ほどなく国会のお偉方が怒り出し、かなり非公式の圧力がかかったようで、この番組は都合8年間も放送されていて、人気もかなり高かったにもかかわらず、昭和29年「自主的に」終了してしまいました。この事件は、放送法が施行されてからわずか4年後のことです。
このことは些細な事件に見えますが、現在の「放送法をはさんだNHKと国会、内閣との関係」は、昭和20年代よりもさらに蜜月化しているようにも思えます。
僕も、NHKが常に国会や内閣にヨイショしているとは言いません。ただ、「NHKは、国会/内閣と国民のどちらの立場に立って放送すべきか迷うような時、国民にとって不利益になりかねない場合でも、必ず国会/内閣の側に立って放送することが宿命付けられている」放送局であることは、国民全員が理解しておくべきです。
では民放はいいのかというと、そういうわけではありません。民放はスポンサーのために放送しているのです。これは疑う余地もありませんし、みんな分かっています。みんな分かっているから問題ないだけなのです。
NHKが問題なのは、NHK自身が「NHKは国民の受信料で運営されているから、思想的、政治的に中立を守ることができる唯一の放送局」というようなウソをつき続けていることなのです。
というわけで、僕がNHKの受信料を払うための条件は以下の二つです。
それでもしNHKが潰れるなら、この国の国民はその程度のレベルだということです。
音は数秒の間隔をおいて数回するのですが、出所を確かめようと台所に行っても、人がいるときに音がしたことはありません。
かなり明確で大きい音なので、僕も女房もしょっちゅうこの音を聞かされているのですが、既に二人とも慣れっこになっていて、別に何とも思わなくなってしまいました。
この「カチッ」と「パキッ」の中間みたいな音、どこから出ているかだけでもわかればすっきりするのですが・・・。僕にはとにかく「リレーの音」に聴こえます。
冷蔵庫は普通「カチッ」の後に「ブーン」というコンプレッサー駆動音が続くものですが、それもない。水槽のタイマーも、そんなに立て続けに何度も音がすることはないはずです。
ゴキブリかなんかがイタズラしてるだけならいいのですが・・・あんまり怖いほうに考えてしまうと夜眠れなくなってしまうのでこれ以上追及するのはよしておこうと思っています。
女房のお腹には今年の12月頃には生まれる予定の人がいるので、どうやら早く進めばこの人の名前を考える頃には新しい漢字が使えそうな気配です。
まぁ自分の子供のことはいいのですが、ネット上では「苺(イチゴ)」なんて名前つけたら子供がかわいそう、などという議論も始まっています。それに加えて、今回追加される漢字に「糞」「呪」「屍」「癌」といった漢字も含まれていることがまた議論を呼んでいるようです。
僕個人の意見としては、「こういう、一度範囲を決めたものを細かい意見聞いていちいち追加するんじゃない!」といったところです。コンピュータ用の文字セットでも同じ問題が発生しているのですが、こういうものは切りが無いので、「一度決めてしまったらもうそれでオシマイ!!」でいいと思うのです。
今回の漢字追加も「もう本当に絶対これでオシマイ!」という気持ちがあったので、使いそうもない漢字を入れたのだと思います。
それにしても、「苺(イチゴ)という名前は小さい頃はいいけど、歳をとると変」という意見には僕はちょっと首を傾げます。
おばあちゃんの名前が「イチゴ」であることに違和感を感じる理由って、単に今のおばあさんが生まれた頃、そういう名前が流行っていなかっただけだと思うのですが。
思うに、おばあちゃんが信玄袋を持ってるのって、信玄袋がおばあちゃんに似合うからじゃなくて、おばあちゃんが若かった頃に流行っていたからですよね。
だから、僕がおじいちゃんになる頃には、Tシャツ&ジーパンのおじいちゃんが普通になっているのではないかと。
名前もそういうものなんじゃないかと僕は思っているのです。
「苺(イチゴ)」っていう名前のおばあちゃんがいたら、それはそれでとても素敵なことではないでしょうか。
元日銀総裁は、自分と同じ名前の女性アイドル歌手が出てきたときにさぞかしびっくりしたことでしょう。偶然でしょうが。親が当然男の名前だと思った名前を男の子に付けても、アイドル歌手一人に覆されてしまいますから。
昔は「タマ」という名前のおばあちゃんも結構いたようですが、今そんな名前を付けようとしたら「ネコみたい」と一蹴されるのがオチでしょう。これは一重に「某四コマ漫画」の強い影響でしかないんですよね。 本当に名前って難しいです。
「おばあちゃんとぼくと」は、ちょうど日本のコンピュータ業界が「マルチメディアの時代だぁ!!」と叫び始める直前にアメリカでリリースされたいわゆる「インタラクティブ絵本」形式のCD-ROMソフトです。Macromedia社のDirectorというソフトで製作されており、WindowsとMacの両方で動いていました。
当時マルチメディア関連ではまだMacintoshが一歩先を行っている状態で、Windows陣営はNECがCanBe、富士通がFM-TOWNS、松下電気もなんかだしてたなぁ、とにかく「マルチメディアパソコン」を標榜するパソコンをワラワラ出してきて、かなり戦国時代っぽい状況でした。
で、これらのパソコンがこぞってバンドルしていて、当時パソコンを買った人は恐らく一度は見たであろうソフトが、この「おばあちゃんとぼくと」なのです。
そんな時代に僕が何をしていたかというと、今はなき「シナジー幾何学」という会社で、まさにその「マルチメディアタイトル」の製作に携わっていたのです。当時作っていたのは「Alice」「L-ZONE」「GADGET」「Yellow Brick Road」といったもので、まぁ僕はプログラミング部分のみの担当で、絵を書いたり音を作ったりはもちろんそれ専門の人がやっていたのですが、まぁそういう渦の中に身を置いていたわけです。
「おばあちゃんとぼくと」発売当時、僕がどのタイトルを作っていたのかはちょっと思い出せませんが、とにかく初めてこのタイトルを見たときの衝撃はかなりのものでした。そのエンターテイメント性、その動作速度、タイトルとしての完成度、キャラクタの立ち度など、マルチメディアタイトルの一つの形がそこにある、といった印象でした。
当時はまだ「マルチメディアというものはどういうものなのか」自体がはっきりしていなくて、いろいろな会社がいろいろなタイトルを出してその形を提案していました。「マンホール」「スペランクス」「ミスト」の系統や「ヴァーチャルヴァレリー」というエロタイトルを作っていた会社が「スペースシップウォーロック」というタイトルを出してきたときその完成度に驚きました。少し後になると「ジャーニーマンプロジェクト」というタイトルも素晴らしい出来でした。
国内にも競合する会社/タイトルがいくつかあった気がするのですが、どうしても思い出せないなぁ・・・・思い出したらまた書きます。
マルチメディア、という言葉はこのCD-ROMが示すように遠い過去のものになってしまいました。僕が20代前半の有り余るエネルギーを注いだシナジー幾何学という会社もすでになくなってしまいました。コンピュータ業界が熱狂したあの「マルチメディア熱」とは一体なんだったのでしょうか?
それは恐らく「インターネット」という言葉の中に含まれてしまったのでしょう。当時マルチメディアで食っていた人たちの多くは、みんなインターネットコンテンツ業界に身を置いているように思えます。
実はこの件に関しては今でも心の隅にひっかかっていることがあります。
僕がまだシナジー幾何学の社員だった頃、社長に「インターネットって来ると思う?」と聞かれました。
当時はまだWindowsも3.1で、OS自体のインターネット対応もWindows95の発売を待っており、当時Windowsでインターネットをやろうとするとカメレオンなどのインターネット対応パッケージを購入しなければならないような時代でした。
僕はまだNifty-Serveの住人だったこともあってか、社長に「インターネットは課金が従量制でないからそう遠くない将来自己崩壊するから放っておいたほうがいい」と答えてしまったのでした。
あれから十年、幸いにもインターネットはまだ崩壊していません。あの時の僕の言葉のせいでシナジー幾何学がつぶれたとは思っていませんが、シナジー幾何学がインターネットサーバを立ち上げてインターネットサービスの研究を始めるのが1年遅れた、という結果を呼んだことは事実かもしれません。
今まさにWinnyなどのP2Pソフトの台頭で、今になってインターネットの危機がささやかれていますが、そういった危機も乗り越えてコンピュータ/インターネットにはますます発展してもらいたいものです。
全然別の話ですが、僕が拾ったCD-ROMを何気なくリビングのテーブルに置いておいたら、女房がそれを見て「とうとうウチの亭主の心が病んでしまった。働かせ過ぎたか・・・」と思ったそうです。皆さんも道に落ちているCD-ROMを拾うときは気をつけてください。
と、ここまで書いて気が付いたのですが、台所から聞こえる「ラップ音」はこのCD-ROMを拾った頃から聴こえ始めたような気が・・・・。
このスピリタスというお酒、何がすごいって度数が96度!!。つまり96%がエチルアルコールなのです。普通のウイスキーがせいぜい40〜45度、ビールが4%程度であることを考えるとこれは既に酒ではなく工業用アルコールの領域に達しています。
当然この酒をそのまま飲む人は稀で、通常は何かで割って飲むわけです。僕の場合はそれがホッピーですので、まさに「割る者と割られる者の素敵な出会い」のような状態が「ホッピー&スピリタス」にはあります。
僕も最初は普通の甲類焼酎で割ってホッピーを飲んでいたのですが、以下の理由でやめてしまいました。
もう一つ長所を挙げるなら、スピリタスは非常時に「燃料」として使えるところでしょうか。ラベルには「火気厳禁」と書いてありますし。実際に煙草を吸いながら飲んでいてやけどをした人がニュースに出たこともあります。返して言えば管理をちゃんとしないと火元になってしまう恐ろしい酒なのです。いざという時には新聞紙を挿すだけで火炎瓶としても利用可能です。ロータリーエンジンならガス欠時に燃料代わりになるかもしれません。
というわけで、皆様も機会がありましたら是非「ホッピー&スピリタス」をお試しください。
XX日に、東京都XX区衛生課の人が来ますので、XX時からXX時までの間、喫煙をする場合は玄関外の灰皿にてお願いします。
僕は以前煙草をやめた人間なので何の関係もないのですが、このメールにはとても興味深いことが書かれています。衛生課の人が何日の何時に来るかを正確にこちらが把握していることです。
衛生課としては、突然行くと迷惑がられるのでこういう風に前もって査察(?)日を知らせておくのかもしれませんが、職場で分煙がきちんと行われているかどうかを本当に調べる気があるのなら、このやり方では何も調べられないことになります。
結局、衛生課はなにも調べる気がないとしか僕には思えません。彼らの仕事は「都民の健康状態に気を配っている」というポーズをとることであって、実際にそれが結実しているかどうかに関しては全く興味がないのでしょう。
そう考えると楽な仕事もあるもんだなぁ・・・などと考えてしまいますが。
小学校の頃にこの本の何巻かが家にありまして、それはもう夢中で読みふけったのですが、その中に、
形も大きさも全然違う二つのグラスがある。この二つの入れ物で二人の人がジュースを平等に分けて飲みたいのだが、どちらからも文句が出ないようにするにはどうすればいいか。秤など、計量できるようなものは何もないとする。
という問題がありました。
この問題のポイントが「どうすれば等分できるか」でないことは、グラスの形に関して「違う」とか言及していないことからも明らかです。この問題のポイントは「どうすれば両方から不満が出ないように分けられるか」なのです。
答えは「どちらかが、もうこれならどちらを相手が選んでも文句はない、と思えるまで二つの器に液体を分けて、もう片方の人がどちらかを選ぶ」というものでした。
この問題は「量を等分する」という、一見テストの問題のような体裁をしていますが、実は極めて人間的な配慮を問うた問題だったのです。
この問題には少なくとも一つの答えがあることはこれで納得できますが、実際に社会人になって直面する様様な問題というのは、
今の学校教育に欠けているのは、まさにこういう「答えのない問題」を解決する能力を育む機会があまりない、ということではないかと思います。問題には必ず解答が用意されていて、解けたら答え合わせをするようなテストばかりでは、社会に出てから本当に必要な能力が育つ機会が少なすぎるのです。
よく大学受験の試験問題が間違えていて、正解のない問題になっていたりしてニュース沙汰になったりしますが、こういう問題に「この問題から答えは導き出せない」という回答を書ける人が、実際にモノゴトが一番分かっていて、社会に出ても「使える」人間に育っていく人なのだと思うのです。
ところが、そんな僕も一度だけですが不思議な体験をしたことがあります。
だいぶ前のことなのですが、写真に凝っていた頃、千葉にある「佐倉城址」に行ったことがあります。城址は大きな公園になっているのですが、公園内をぐるっと一周するように散歩していて、さほど大きくもない木に近づいた時、突然自分の前に「煙草の煙そっくりの煙」がフワッと現れたのです。
量はちょうど煙草の一息ぶんぐらいで、僕の50cmぐらい前に何の前触れも無く現れて、そして数秒後にスッと消えていきました。
平日の昼間だからか僕の周囲10m以内には誰もいませんでしたし、もちろん辺りに煙を出すような火の気はまったくありません。
そんな体験をしたのですが、不思議なことにその時はまったく恐怖感は感じませんでした。「不思議なこともあるもんだなぁ」と、その程度に思って佐倉城址を後にしたのでした。
で、家に帰って佐倉城址をGoogle検索してみて震え上がりました。佐倉城址は結構ちょっと有名な心霊スポットの一つだったのですね。
この霊感に全く自覚の無い僕ですら不思議体験ができたのですから、もしかするとここは本当に何かあるところなのかもしれません。一度でいいからそういう体験をしてみたい、という人にはちょっとおすすめです。
ある蒸し暑い夜のこと、僕が部屋で一人で何も考えず熟睡していました。仕事でとても疲れていたのだと思います。
夜の何時ごろだったのでしょう、突然自分の体に大きな違和感を感じて目を覚ましてしまったのです。いや、違和感を感じた夢を見ただけなのかもしれません。
その違和感とは、「何かとてつもなくノド越しの悪いものを飲み込もうとしている」状態でした。真っ暗で自分の置かれた状況もわからず、ただ半覚醒状態のまま、「とにかく喉に引っかかっているとんでもなくノド越しの悪いものから逃れるためには」ということだけを考えることで精一杯でした。
で、どうしたかというと、僕はそのノド越しの悪いものを飲み込んでしまったのです。のどにひかかっていたそれは、飲み込まれるという現実に激しく抵抗するように、毛の生えた手足をジタバタさせながら、僕の全身全霊をかけたノドの蠕動に引きずられるように胃袋に消えていきました。
疲れていた僕は、ノドの違和感が消えていくに従って、再び深い眠りについていったのでした。もしかすると、全ては夢だったのかもしれません。
というのが、僕の身に起こった身の毛もよだつ恐ろしい体験の全てです。これが現実に起こったことなのか、夢だったのか、今では知るすべもありません。ただ、ひとつこれだけは確かなことがあります。それ以来僕はゴキブリが以前にも増して嫌いになってしまったのです。
デッドポイントというのは、指板上の特定の音だけ目立ってサスティンが短い症状を普通言いまして、普通の音は指で弦を弾いた後もブーーーーーーーーンとある程度音が続くのですが、デッドポイントの音だけ「ぶーーん・・・・」と、急速に音が減衰していってしまうのです。
この症状は、細いネックにトラスロッドが仕込まれたジャズベース系の楽器には多かれ少なかれあるもので、ある程度はしかたのないものだといわれています。ジャズベースを弾いている人は、自分の楽器のデッドポイントを把握して、ロングトーンではそこを避けるように弾いている、というのが実情のようです。
が、新素材系のグラファイトネックではこれを解決しているという話を聞き、どんなものかと思って御茶ノ水の某楽器屋をたずねてみました。
Mosesというかなり有名なグラファイトネックメーカーのネックがついている楽器を試奏させてもらったのですが、結果から言うとこのネックもデッドポイントを克服しているとは言えない状況でした。
Mosesのネックは基本的に普通のネックと同じく木でできていて、それにグラファイトを貼り付け樹脂を染み込ませて強化してある、いわゆる「グラファイト補強ネック」といわれるものです。このネックは、木のネックの持つ音色をなるべく損なわないようにしながらもネックを強化していこうという考えのものらしく、完全にデッドポイントを解消できるものではないようです。ただ、音は悪くなかったと思います。
で、楽器を持ってネックをリプレースする気マンマンでお茶の水に出かけた僕は、結局何もせず帰ってきてしまいました。今度は完全なグラファイトネックを持つ楽器を試奏してみて、よかったらそっちを試してみたいと思っています。
フレットレスって、普通のフレッテッドな楽器よりもデッドポイントが目立つんですよ・・・・。
確かに、地理は変化が激しすぎます。僕が小学校の時ハチマキをして一生懸命覚えた国名やその首都、特産品などの多くが変わってしまっています。
いつの間にか変わってしまっていて驚いたのが「スリランカの首都」です。恐らく世界中の小学生が「スリランカの首都は?」というテストの問題に答えを書く時「ウチのカミサンがねー」と頭の中でモノマネをやっていたに違いません。それほど覚えやすかった「コロンボ」という首都が、いつのまにかとてつもなく覚えにくい名前の都市に変わっていたのです。
その都市こそが「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」!初めてこの事実を聞いたときは悪質な冗談だと思いましたが、最新の世界地図を見て驚愕しました。
もうこれは、地理の勉強に涙する世界中の小学生に対する挑戦状としか受け取ることができません。
我々日本も、これに対する報復措置として首都東京の名前を「東京特許許可局」に改名し、世界中の小学生(とアナウンサー)を恐怖のどん底に陥れるしかないでしょう。なんのこっちゃ。